大学生の頃、友人が川越に住んでいた。結構遊びに行っていた。ただ、当時は川越に「小江戸」なんてイメージはあまりなく、精々「デカいふ菓子が売っているところ」くらいな印象だった。川越駅や本川越駅から所謂「小江戸」の街並みに辿り着くまでには、まあまあ歩くからである。

埼玉と聞いてパッと「あそこだったら多少の観光が出来るね」という場所を思い浮かべることの出来る人は、およそ関東圏の人間に限られていると思う。

さいたまスーパーアリーナがあるから、コンサートやライブが好きな人なら大宮やさいたま新都心の名前は聞いたことがあると思うし(大宮は新幹線も停車するターミナル駅だ)、ベルーナドーム(旧西武ドーム)も決してマイナーなドームではない。ベルーナドームが、もはや修験者しか行かないだろというような過酷なドームであったとしても、好きなアーティストが人質にとられた以上はコンサートないしライブへ参加せざるを得ず、その場でうっかり修験道を極めてしまったという人も少なからず居るはずで、そういう人達からすれば、所沢というのはもはや修行僧たちの集まる場所という認識かも知れないが。

野球が好きなら西武ライオンズ、サッカーが好きなら浦和レッズや大宮アルディージャなど、意外と埼玉の名前は“観光地以外では”聞いたことがあるというレベルだったりする。

しかし皆さんご存知の通り、埼玉というのは1都6県の中でも格別に地味な県である。「魅力度ランキング」の最下位を北関東が争っているのを見ると、「それでもそこが話題になるんだろ⁉️」と私なんかは思う。「下位争い」とて、話題作りとしては立派なバリューを生み出している。当事者たちからすると「並べられたらたまったもんじゃない」と思うかも知れないが、北関東3県の魅力は個人的に横並びだ。どこに行っても美しい山河が、おいしい特産品が、温泉が、それぞれある。魅力がないなんて有り得ない。

満を持して2025年、「魅力度ランキング」で埼玉は47都道府県中の最下位となった。これもまたひとつのバリュー…のはずが、埼玉の魅力度ランキング最下位は絶妙に笑いのネタにしづらい生々しさがあり、むしろ順位をあげた「茨城」に、最下位脱出という話題性で負けた感が否めない。「そうは言っても埼玉には〇〇があるよね」というフォローにも、何か物悲しい雰囲気が漂ってしまう。そもそも「埼玉にも〇〇があるよね」の「〇〇」に、皆さんなら何を代入するだろうか。代入するものがパッと思いつくのだろうか。正直なところ、埼玉県民をしてみても、「埼玉にも新幹線とまるところはあるよね」くらいしかパッとは出てこない。何しろ埼玉は、基本的に東京のすぐ隣という立地を最大限活用した労働者輸送コンベアであり、東京まで人を運ぶことには優れているものの、観光に便利な交通網をあまり有していないのだ。そんな埼玉に、一体誰が来ると言うのだろう…。一体何を見ると言うのだろう…。そう思うことも思われることも、これは自然なことだ。

埼玉千葉論争というのが一部にはあるが、私個人としては、埼玉のヒエラルキーは明らかに千葉より下だ。千葉には成田空港があり、ディズニーランドがあり、鴨川シーワールドがある。対する埼玉は大宮駅であり、ムーミンバレーパークであり、東武動物公園である。助けて。

埼玉県民は、県民性がそもそも自虐体質だ。だから自ら率先して埼玉を小馬鹿にしてしまうところがある。「翔んで埼玉」という映画が話題になった時、我々が感じたのは「やかましいんだよ」という気持ちの一方、「魔夜峰央大先生、ありがとうございます」ということだった。「埼玉県民にはそのへんの草でも食わせておけ!」という台詞で腹の底から笑えるのは、埼玉生まれ埼玉育ちの埼玉県民の特権だとさえ思う。我々の自虐的で卑屈な県民愛を、なぜ魔夜峰央先生はこんなに理解されているのか。一方で、こういう弄られ方でなければ「県」としての個性を発揮出来ないのだとすれば、それはやはり現地の人間として非常に悔しいというのも紛れもない本音である。埼玉にも美味しい食べ物はある。草以外も食う。

前置きがまた長くなった。とにかく、そういうわけで埼玉といえば「何も無い県」なわけで、「ダサくてイモい」がすっかりパブリックイメージになってしまっている。しかし、そんな埼玉にも、見所は間違いなくあるのだ。

スズキ先生から、「和綴製本(和紙でノートを作る)のワークショップがあるが、一緒にどうか」というお誘いがあった。秒速で「行きます」と答えた。場所は川越だと言う。なんと!教えてもらったサイトを見たら、創業100年を数える会社さんらしい。活版印刷と書いてある。オタクはデカい主語と活版印刷が大好きだ。例外はない。

私が大学生くらいの頃の川越は、今よりぜんぜんパッとしない町だった。確かに埼玉の中では比較的観光地寄りではあったものの、神社仏閣城跡などなど、すべてが駅から遠い。知人や友人たちの住む町だから、自分の中で、観光地というより住宅地というイメージが強かったというのもある。クレアモールより先にあるものと言ったら、自分の中ではもう「人ん家」だった。半径数キロは栄えているように思えても、そこから更に先に歩けば、普通に寂れた町があった。

自分が記憶している限りだと、川越の評価が明らかに変化しているな、と感じるようになったのは2015年あたりだったと思う。

自分が学生の頃から、そうは言っても川越は「蔵造りの町並み」という景観を持続的に守るため地域が一体となって活動を行っていたし、私の中のイメージはともかく、「小江戸」としての川越は、川越比企郡地域において昭和の時代からずっと地域活性化のための重要な位置づけにあった。でも、自分が比較的川越へ遊びに行っていた時代を振り返って記憶を辿ってみても、今ほどの活気はどこに行ってもなかったように思う。メディアで大々的に取り上げられる回数も少なかった。本当にこの10年で、ずいぶん川越も観光地ぜんとした顔になった。

そんな観光地川越に、久々に降り立つ。

当日、前日に起こった豪雨と地震のダブルパンチで埼玉を走る各線には朝から大きな影響があった。朝から掻くべきでない量の汗、もはや人間出汁を垂れ流しながら迂回ルートを駆使して現着。予定の時間から大幅に遅れての到着にはなったが、スズキ先生が予約してくれていたワークショップの時間にはなんとか間に合い胸を撫で下ろした。

現地まではタクシーに乗って移動した。商店街を抜けると所謂「小江戸」の街並みが見える。イモも見える。川越と言えばイモだ。

埼玉といえばダサくてイモいイメージ、と言ったが、実際埼玉はイモの国だ。秩父に行けば味噌のかかったジャガイモを食わされる(※食わされるなどということはありません)し、川越に行けば甘いイモを食わされる(※食わされるなどということはありません)

ワークショップ参加者は、午前中の時間帯ではなんとスズキ先生と私のふたり。こじんまりとした店内には、活版印刷で刷られたカードやレターセットなどが並んでいてどれもかなり可愛い。

スタッフの方に案内をしてもらい、まずは「蔵書票」というものに活版印刷機で今日の日付をいれる体験をする。蔵書票というのは、本がまだ今ほど部数を刷れなかった時代、これは自分の本であるということを証明するために本に貼り付けた紙片のことだそうだ。好きな絵柄のものを5枚選び、そこに印刷をしていく。宗教上の都合で自カプカラーを意識したものを確実に2枚、あとは自分の趣味のものを3枚選んだ。すべてグレーの紙で揃えたら、「すべてグレーとは、センスがありますね」と甘すぎる評価を頂き気分が良くなる。

自カプ蔵書票はいつか自分の同人誌に貼ろう…と思いながら刷る。だからいつか上下巻の同人誌を出そう。

活版印刷機の上部には丸くて平たい皿のようなものがついていて、ここにインクが塗られている(染み込んでいるというほうが適切か)。ローラーがその皿からインクを引き受け、レバーを下ろすとインクが紙にうつる。

インクの乗った平たい皿には、乾燥を防ぐためのフードなどもついていなかったから、相当ねっちりしたインクなのかな。活版印刷機の横にはインクの缶が置いてあって、スタッフの方曰く、少量でもかなり長持ちするとのことであった。

蔵書票を乾かしている間に和綴体験に移る。

好きな紙を2枚、表紙と裏表紙で選べる。宗教上の都合で(以下略)理想的な自カプカラーと出会い、私の心は一気に踊った。

スタッフの方に「決めるのが早いですね!」と驚かれるくらいマッハで用紙を選んだ。私は元々が異常のせっかちな上に、選択に迷ったら自カプを連想して決めるという有り得ない方法で様々な時間を圧縮しているオタクなので、こういうのを決めるのだけはなんか無駄に早い。

ノート作りはやや手先の器用さが要求されるが、私でもなんとか形に出来た。初めてにしては上出来だろう。作り方を覚えて道具さえ揃えられたら、家でも出来ないことはないのかな、と思ったが、もう既に綴じ方を忘れたので終わりです。

スタッフの方が「初めてなのにすごくお上手だ、ここで働いてもらいたいくらいだ」というような優しい言葉をかけてくれて嬉しかった。これでいつ会社からクビ切られても大丈夫になった。

紙を折ったり切ったりは、私でも難しくない。問題は糸を通すところだ。まったく恐ろしいほど裁縫のセンスがないので、スタッフの方の手本を見ながらモタモタとやった。それでもなんとか出来た。

出来上がったものは御朱印帳としても使用出来ると言われたが、折角耐用年数が洋紙よりあるという和紙でノートを作ったのだ。1000年先まで残すっきゃない。というわけで、私には新たな夢が出来た。なんとかこの和綴ノートを未来の民芸博物館とかに展示してもらうことである。1000年くらい先の未来では、言葉の形もまた変わっているだろう。解読された時に突然「めぐゆじ」って出てきたら意味分かんねぇだろうな。解説のところに、「情熱的な書きぶりから、この日記の著者は、“めぐゆじ”という何かにいたくハマっていたことが分かる」とか書かれたい。もはや。

まだ何を書きつけるかは決めていないけど、なんかいい感じのことを書きたいと思います。

店内には活版印刷の「活字」もあった。鉄製の判子のようなやつだ。小さいのから大きのまで色々あるが、この中から文字を選んで組み合わせて…と考えると、本当に気の遠くなる作業だな…と思った。書き物を残すって、改めてすごいことだ。

ワークショップを終えて外に出た時にはまだ午前中。予約したランチまでは時間があるので、氷川神社へ向かう。

この「氷川神社」という名前、埼玉県民・東京都民の方なら聞いたことがあるという人も多いはず。なぜならこの名前がついた神社、埼玉県内だけでも大小含め200はあると言われているからである。

この「氷川神社」の総本社は埼玉は大宮の「武蔵一宮氷川神社」である。もしなんらかの用事で大宮に足を伸ばすことがあったら、是非こちらにも行ってみて頂きたい。なお氷川神社の主祭神はスサノオノミコトだそうです。

川越氷川神社は、武蔵一宮氷川神社から分祀された神社であり、主に縁結びなどで有名らしい。実際、行ってみるとデートコースになっているのだろうなと分かるくらいカップルが多い。こんなに若い人でいっぱいの神社には、久々に来た。

境内は、そんな若い人たちの目にも嬉しい「映え」に溢れている。

大量に吊るされたカラフルな風鈴の下で、かわいい浴衣を着た女性たちが写真を撮っている。世はまさに大セットログ時代。私の心がもう少し強ければぬいぐるみを出していたが、残念、気持ちで負けてしまった。次こそは私の手持ちカップル(手持ちカップル)でカップルバトルを制したい。ぬいたち、行けるよな!

時と場合を選ぶべきだ「ぬい」

ありえない種類のおみくじが販売されており(販売という言い方は恐らく正しくない)、何かこう…逞しさのようなものを感じた。

規模こそ大きくはないが、小綺麗で写真映えする神社だ。駅からはそこそこ歩くので、歩く場合は車に気をつけて向かって頂きたい。

氷川神社から、今度は川越城跡本丸御殿に向かう。

川越城跡。好きな場所だ。博物館と美術館も同じ場所にある。

先日の名古屋旅で名古屋城を見た時、内装の豪華絢爛ぶりに大変驚き、また感動もした。その美しさたるや、名古屋城本丸御殿はまるで歩く美術館のようだった。一方ここ川越城跡本丸御殿はどうかというと、ただ一言、「質素」、これに尽きる。

しかし、私たちのDNAに刻まれているといっても過言ではない木造建築に対する心地良さと安心感、何よりも親しみは、よほどこちらの本丸御殿のほうに強く感じる。まるで実家だ。木造建築(概念)が自分の塩基配列に組み込まれているんだ。我々の血潮には法隆寺(概念)が流れているんだ。ちなみに大人の入館料は100円である。人がわらわらと居るような感じではなく、かなり落ち着いて過ごせるので、人間が居すぎると気絶するタイプの方は是非こちらに赴き、大人にしか楽しさを見いだせぬ、贅沢な「ひま」を過ごして頂きたい。

私はこういう空間でぼーっとしているのが好きだ。せっかちなくせに、落ち着いて過ごしたいという矛盾を抱えている。

川越城跡の目と鼻の先には三芳野神社がある。童謡「とおりゃんせ」発祥の地と言われているのがここである。「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの ほそみちじゃ てんじんさまの ほそみちじゃ」。唄の中だと、「行きはよいよい、帰りは怖い」と歌われているのですが、参道のすぐ側には三芳野神社の境内に続く公園(初雁公園)があり、子供たちの行き帰りにはまったく問題ないので安心してください(有益情報)

いい時間になったので、予約していたランチへ。ドカうま。スズキ先生はお店を探す天才。いっぱいお話した。

スズキ先生はタフネスの擬人化のような人で、先日は秩父旅行に行ったと話してくれた。最終的には群馬に行ったというので笑ったが、埼玉に旅行、という言葉が嬉しかった。会う度にマッチョになっていっている先生。次にお会いする時にも、マッチョすぎる新エピソードの追加があるのに違いない。

とにかく見習いたいのは能動的な人であるというところだ。自分がやりたいと思うことや行きたいと思うもの、達成したいことがたえずあるというのは本当に素晴らしい。こうありたいものだ。スズキ先生が、埼玉でこんな催しがあるのかと知った時に、埼玉住みの私のことを思い出してくれたというのが有難い。大変光栄なことと思う。

古民家カフェに入って、またつらつらと話をした。古民家カフェの古民家ぶりが本当すぎて、古民家カフェって本当に古民家なんだなぁとアホみたいな感想を抱いた。美味しかった。

お土産にクソデカふ菓子を買った。

埼玉には確かにコレという観光地的な個性がない。ないと思う。思うというのは、そこに住んでいる人間にとっては、仮にそこが自他ともに認める観光地だったとしても、観光地であるという認識以上に居住地だからだ。居住地に観光地的な個性は必要ない。普遍的であることのほうが望ましい。そして大抵の人達はその普遍的な居住地に住んで、ただ生活をしている。川越もそうで、一歩道を外れたらそこにあるのは住宅街だ。私は住宅街である川越を知っているから、小旅行として川越に来ると、なんだかちょっと変な気持ちである。よく知っていて、まったく知らない土地を歩くような。

しばらく来ない間に、川越は結構立派に「観光地」をやっていた。観光地的な個性を、しっかり獲得していた。なんか、そこに感動を覚えた。

埼玉は決して一枚岩ではない。上下左右で文化が違う。私は南部の生まれ育ちで、圧倒的な工業地帯で育った。周囲に山はなく、森もなく、遊べる川もなく、沼もなく、林もなく、湖もなく、当然海もない。夏休みに自然と触れ合うためにはなんらかの交通手段をもって遠出しなければらなず、見沼の用水路で釣るザリガニや、近所の公園の土をほじくり返して拾ったセミの幼虫なんかが、辛うじて生物と繋がる接点だった。ホタルは金を払って見に行くもので、カブトムシはイオンで買った。周辺にあるのは住宅と会社と工場で、私が生まれた頃には完全にその勢いを失ってはいたけども、かつてここは「キューポラのある街」だった。いくつもの工業団地、組合、ブルーカラーに支えられた街。暮らすうえではなんの不便もなかったが、猥雑という印象については否定出来ない。そんな街。

埼玉の何もなさを人が語るとき、イメージされているのは多分この街のような姿なんだろうなと思う。何もなさという部分では。ただ、「埼玉のイメージ」全体の平均値をとったら、みんなが考える埼玉に一番近いのは所沢とか、西武線沿いの埼玉なんだろうなという気もする。県庁所在地がある浦和やターミナル駅である大宮より、実際の埼玉を代表しているのはあっちのほうだと思う。

そんなことをつらつらと考えながら帰った。私は埼玉が好きだ。自分の生まれ育った街が好きだ。友達の住んでいる街も好きだ。とても。

スズキ先生のお陰で、本当に楽しい週末だった。久しぶりに川越を歩いてみたら、川越が本当に観光地をやっていて驚いた。こういうのを“再発見”と言うんだな、と思った。小江戸川越、いいところだ。誘って頂けて光栄でした。本当にありがとうございました。何もないけど何かはある埼玉、是非これからもご贔屓に‼️

そして、「埼玉に旅行しに行ったよ」と言ったなら、それだけで「な、な、な、なにしに⁉️埼玉に⁉️」という相手からのリアクションが期待出来ると思いますので、是非皆さん、話題作りに埼玉旅行、ご検討ください。畳む
CATEGORY:雑記
「見て先生ッ!チンポだッ!」

私はハンドルを握りながら叫んだ。

「すごいチンポ!」

もう一度叫んだ。

「ありえないデカチンだ先生!」

大興奮の私に対して果たしてうに先生がどのような表情を浮かべていたのかは、チンポが視界に掠めたあとすぐに目線を正面に戻した私には伺い知ることが出来なかった。しかし、私の興奮に対してもうに先生の返事は極めてクールなものだった。

「ほんとだ」


山梨。

富士山。富士急。フルーツ。盆地。リニア工事に揺れる県であり、埼玉と同じく海なし県。日本住血吸虫を撲滅したところ、それから「フジマリモ」。山梨といえばそんなイメージ。

富士急には行ったことがある。戦慄迷宮で本気で泣いて腰が抜け、途中退場した時、おばけ役の人がおばけの体裁を保ちつつギリギリの態度で心配してくれたのを覚えている。ドドンパで首をしたたか打ち、ええじゃないかで内股に巨大な青あざを作った。あと山梨には一応親戚がいる。

うに先生が「山梨来るなら桃狩りする?」と誘ってくれた。予約をしてもらい、朝っぱらから甲府駅で待ち合わせ、現地へ向かう。甲府から石和、勝沼あたりへ移動。ゆく道にフルーツ畑がたくさん見える。直売所には旗が立ち、カラフルな果物の名前がはためく。そういえば、「勝沼ワイン」というのはお酒を飲まない私でも聞いたことがあるくらい有名だよな。

私は桃が好きだ。まず形が好きだ。桃がおしりに似たのか、おしりが桃に似たのか、どっちなのかは分からないが、とにかく好きな形をしすぎている。しかも色もかわいい。かおりもかわいい。毎年必ず食べているわけではないが、食べられたらかなり嬉しい果物上位に入るのが桃だ。

小さい頃頬に桃を擦り付け、桃の小さなトゲが刺さって大泣きした経験を持つ人は私以外にもきっと居るはず。祖母にありえない声量で「食べ物を顔にこすりつけるなんて、行儀がケモノにも劣る」とキレられ、病院の中でもキレられ、トラウマになるレベルでキレられたお陰で、以降二度と食べ物に頬擦りすることはなくなった。桃を見ると、あわせてそんな祖母との思い出も蘇る。

畑まで少し歩いて、大きなサイズの桃をもぐ。桃ってこんなふうになってるんだぁ。思っていたより大きな木だ。木になっているフルーツを見ると不思議な気分だ。現代のフルーツは、人間が安定的に、かつ美味しく食べるために研究され品種改良でムキムキになっているマッチョな食べ物だが、当たり前に自然の成り行きで実をつけている。お店に並ぶフルーツはサイズもほぼ均一で整然としているイメージだが、あるがままのフルーツは、大きさも形も色合いも、すべてがランダムですべてに個性があった。

私は歩く強欲の壺であるため、デカい桃をもぐため脚立まで借りて高いところの桃をもいだ。第一印象から君に決めてました。でっけぇ〜!私、ケツもモモもでかいほうが好きだな。脳内で架空のおしりフレンドにそう語りかける。

足元で、落ちた桃にアリたちが群がっている。山梨に住むアリは幸せだよ。うちの会社の近くに住んでたアリは殺鼠剤を巣に持ち帰って全滅したぜ。

畑のまわりにはトンボがたくさん飛んでいた。

畑まで案内してくれたお兄さんは、我々が桃をもいでいる間完全に姿どころか気配さえ消して居なくなっていたのに、私たちが桃をもぎ終えて歩き始めたらなぜか自然に前を歩いていてすごかった。

その後、食べ放題の桃を食べる。ちょっと硬めの桃と柔らかめの桃の食べ比べが出来る。歩く強欲の壺なのでもちろん両方食べた。柔らかめの桃は、甘さの奥に更にもう一段階の甘さが構えていた。うめぇ。甘くなった桃は触ると掌の熱で溶けそうなくらい柔らかい。食べ頃になると大体このくらいの柔らかさになるのか。先程もいだ桃はまだ若干硬いから、追熟させてから食べることにする。後からうに先生に聞いたところによると、3、4日で柔くなるらしい。

食べ放題ではあるが、桃は一日に2個食べたらかなり十分だった。お土産にシャインマスカット(700円)を買う。

桃狩りを終えたら私が前から行きたかった場所、「氷穴」に向かう。石和・勝沼方面からは大体1時間ほどのドライブだ。「氷穴」、ずっと行きたかった。

河口湖・山中湖周辺は自然公園法に基づき、景観維持のためコンビニやガソリンスタンドの看板が茶色い。突然街中にモノクロ2値で書き出されたようなセブンイレブンの看板が見えて驚き、うに先生に聞いたら周辺のコンビニなどはみんなこうだと教えてくれた。でもなぜかファミマだけは、どこの看板も茶色くないと言っていた。ファミマが元のカラーリングでいいならローソンなんかもっと元のカラーリングでいいだろ。アイツ青と白の2色だぞ。

山梨の道路沿い、ふと見ると「ハッピードリンクショップ」なる看板が目に入る。

「ハッピードリンクショップ⁉️」と目に入った文字を全部叫んだら、うに先生が「自販機並んでるところをハッピードリンクショップって呼んでる」と言っていた。

うに先生曰く、「あそこだけじゃなくて結構ある。走ってたら何個か見かけると思う。車が停車出来るスペースが確保されてるから休憩も出来る」らしい。実際、氷穴に向かって走る間に複数ハッピードリンクショップを発見した。ショップというが、並んでいる自販機は2つか3つである。それを「ショップ」とか言うのである。人間にもこのくらいのポジティブさが必要だと思う。

そして、氷穴がそろそろ近付いてきたな、というタイミングで、私は「とあるもの」……一度見たならみんな絶対に忘れられなくなるであろう「アレ」を発見する。

そう。

チンポである。

トウモロコシやシャインマスカットを売っている直売所の前に、チンポが(文字通り)立っていたのである。

話は冒頭に戻る。


「チンポだッ!」

私は狭い車内で叫んだ。

「見て先生ッ!チンポだッ!」

ちらと窓の外を見たのであろううに先生のリアクションは「ほんとだ」だった。え⁉️私は突如視界に生えたチンポに対する驚愕と同じくらい先生のリアクションにも驚いた。いや「ほんとだ」で済まないだろ、チンポだぞ。え⁉️先生、いきなりチンポだよ⁉️山梨の直売所にチンポはスタンダードなの⁉️絶対違うでしょ⁉️直売所とチンポに相関はないよね⁉️相関はないと言ってくれよ‼️

私の動揺をよそに、うに先生の口から次に出た言葉は、

「ごめん、お金下ろしたいからそこのローソン入ってもらっていい?」

だった。

チンポが今あったのに、明らかにあってはならぬ場所にチンポが(文字通り)立っていたのに、次の瞬間には「現金下ろさないとな」と、チンポ(しかも立っている)をとっとと捨ておくうに先生。もしかして私がおかしいのか?いやでもチンポだよ?直場所に。何を直売している場所だよ。あらぬ誤解が生まれるだろ。先程のチンポとローソンは歩いてせいぜい数十メートルという距離。駐車場に車をとめ、私はうに先生に言う。

「チンポの写真撮ってきていいですか?」

先生の返事は、

「え⁉️撮るの⁉️」

だった。

撮るだろ。

いきなり道端にチンポあったら撮るだろ。

しかも直売所に向かって勃起してるクソデカのチンポだぞ。撮るだろ。そんなのは。

「先生も撮りに行きましょうよ!ていうか着いてきてください」

気付くと私は必死だった。だって、さすがにひとりでチンフォトはチョトはずいもんね!そういうウブな心が、私にはまだちゃんとあるんだ。

お金を下ろしたあと、先生はちゃんと私に着いてきてくれた。やさしい。

ついに私は通りがかりに発見したクソデカチンポと対面を果たした。それは、トウモロコシを食べている坊主が自分の顔面よりデカいチンポをフル勃起させているという石像だった。

トウモロコシ←わかる
を食べている坊主←わかる
が自分の顔面よりデカいチンポをフル勃起させている石像←突然何もわからない

書き起こしてみたら文章の後半すべてが支離滅裂だ。

多分、この石像が伝えたいのは、このトウモロコシを食べるとこんなに元気になっちゃうぞ!みたいなニュアンスのことなのだと思うが、トウモロコシを食べると精力増強とかいう話はあまり聞いたことがなく、あまりというか聞いたことがなく、もしかすると実際にはそのような効用がトウモロコシにある可能性もあるが、トウモロコシと聞いた時に真っ先に「精力増強だねッ」という発想は出てこないと思うので、ということは実際そのような精力増強イメージがトウモロコシにあるわけではなく、結論としてトウモロコシと勃起には相関関係がないということで、だからつまり、なんなんだ。

なんなんだマジで。

だが単なるセクハラ的な意図で制作された石像出ないことだけは、その立派なクオリティからして確かなことだと思われた。石像のことには詳しくないが、とても丁寧に作られていたと思う。本当に圧巻のチンポだ。もしかして、なんらかの生殖器崇拝が実はこのあたりだと有名とか?私が知らないだけで、地元では名のある神がいるとか?分からない。「山梨 ちんぽ」とか「山梨 ちんぽ神」で検索してもエロお店しか出てこない。絶対関係ない。

そのチンポ石像の隣には、「休憩所」と書かれた看板が立っている。

怖すぎる。

このチンポ石像が設置されているせいで「休憩所」のニュアンスに変な偏りが出そうすぎる。

モザイクなしの超チンポで、明らかにチンポチンポしいチンポゆえに、道路に向かって立っていない、直売所に向かって立っている(文字通り)というところに絶妙に理性を感じるあたりもかえって怖い。なんなんだ、その妙なサイズ感の理性は。「トウモロコシかじり勃起坊主を石像にしよう‼️」という発想にはまるっきり理性があるように感じられないのに、「道路に向けて勃起してるのはよくないよね、公然わいせつ的に考えて」という判断が出来るあたりには確かな大人の存在を感じる。怖い。その中途半端な大人の理性が怖い。

ちなみに、うに先生は写真を撮っていなかった。

本当にチンポの写真を撮りに来た私に、ただ付き合ってくれたのだ。

うに先生は、真の大人の女性だ。これが大人というものだ。

私はこの年齢にして、まだこんな下ネタにはしゃいでいる。確かによく考えたら「なんか凄いものがあるなぁ」で済みそうなものではある。直売所に向かってとんでもない勃起をしている石像。スルーするので全然……

全然…………

「このチンポ像のお陰で、山梨来たこと一生忘れないと思います」

気付くと私はかなり真っ直ぐな気持ちでうに先生にそう言っていた。

だって有り得ないから。

こんな意味のわからないタイミングでこんな前提の分からないチンポ像が突如いるの、有り得ないから。

忘れられるわけないから。

うに先生は言った。

「これ、小学生の男の子とかが見たら、大はしゃぎじゃない?」

ン私ィ‼️ン私も大はしゃぎィ‼️

画像は無修正であまりにも露骨なので掲載を控える。興味がある方は個別にご連絡ください。


いやぁ凄いものを見ましたね、と言いながらついに氷穴に到着。とんでもない大勃起を見たあと氷ケツとは何か示唆的なものを感じるな、と思ったが、大人の女性なのでそういうことを口に出して言うのは控えた。正しい判断だと思う。

氷穴には絶対来たかった。真夏でも涼しいという氷の洞窟。寒いくらい、と聞いていたので、この氷穴のために長袖の服も準備していた。

来たかった理由は単純で、自分が生きているうち、あと何年この氷の洞窟に氷が存在し続けるのか分からないよなと思ったからだ。こういう洞窟を健康な足腰で歩ける間に見ておきたかった。

氷穴から車でわずかに進んだ先には風穴もあるが、こちらは時間の兼ね合いも考えて今回は断念している。

私は安全に対する意識が高いので、ヘルメットを着用して中に入った。すごい。洞窟に少し入っただけで、もう空気が冷たい。天然の冷蔵庫って本当だったんだ。感動。

洞窟の中は狭く、完全にしゃがまないと通れない箇所もある。事前の注意で乳幼児をお連れの方は入ることが出来ないと案内があったがなるほど、胸の前に何か大きなものを抱えながら移動するのは不可能だ。私の前をしゃがんで移動していた方が、「なんでこんなところを観光地にしたんだッ」とあまりの天井の低さと足元の覚束無いことに対してキレていて面白かった。階段というより“段差”があり、つま先で探り探り下りていくというような感じだった。

「地獄穴」を見る。江ノ島のほうまで続いているという伝説があるらしい。この穴の奥をじっと見た時、人間が生来的に備えているとしか思えない暗闇への恐怖感みたいなのが肌に立ち上ってきた。なんかすごい怖かった。

洞窟内は狭く、通路はひとり通るのがやっとの幅しかない一方通行、天井も低く、身長の高い人では移動にも一苦労しそうな程だが、中で喋っていても声が反響しない。それはこの洞窟が「玄武岩」というもので形成されているからで、玄武岩には音を吸収する性質があるのだそうだ。不思議だなぁ。

洞窟は青木ケ原樹海に囲まれている。車をとめたところから、少しだけ樹海の中を覗く。黙して木々を連ねる原生林はあまりに静謐であまりに美しく、「こういうところで死ねたら本望だろうな」とうっかり呟いたあと、違うんです!ここで死にたいとかそういう話ではないんです!と急に弁解がましい気持ちになり、慌てて「だって自分ちの墓に入るってなんか嫌じゃないですか?会ったことない親戚に死んだあと会って『あ、はじめまして』みたいな挨拶からやらないといけないの無理だし実質他人との同居…死後に…」と言ったら、うに先生が「そういえば知り合い(※実際には知り合いではなく、TLでそういうものを見かけたとのこと)がコミケで青木ケ原樹海の〇〇についての本出してた」みたいなことを言い出したので、むしろそっちのほうが気になった。青木ケ原樹海も、生きている間に必ず行きたい場所である。いつかはネイチャーガイドさんにお願いして、トレッキングとかやってみたいものだ。

氷穴を見終えた頃にはちょうどお昼時。先生からの提案で、是非吉田うどんを…ということでうどん屋目指して走っていた時、うにへ先生が富士吉田市で開催される「火祭り」(日本三奇祭のひとつらしい)のことを教えてくれた。ちょうど今走っているあたりでやる祭りだよ、もしかしたら準備されてる松明がもうあるかも…と言っていて、そういえばさっき看板で火祭りがあるから交通規制があるみたいな立て看板を見かけたなぁと思った。

交差点に差し掛かった時、うに先生が「あった!」と言う。指示されたほうを見たら、クソデカ松明が横たわっていた。デカッ!あれが燃えるってクォト⁉️

ホォ〜…と思いながら少し車を走らせると、なんと、そんな神事を催行する神社、北口本宮冨士浅間神社がすぐ右手に見えたのだ。

うに先生に「ココッ、入ってもッ、見てもッ、いいディすか⁉️」と慌てて許可をとって駐車場に車をとめる。予定にはなかったがまさかだ。見るっきゃない。

クソデカ鳥居に圧倒される。私はまあ、特に信仰心の厚いタイプというわけでもないのだが、鳥居を潜る時は少し緊張する。間違った作法で入るのもなぁと思う。が、正しい入り方をいつも忘れるので、とりあえず頭だけ下げてから入るような感じになる。

大きな松明が立っている。本当に大きい。2、3メートルはあったと思う。こんな大きな松明に火がついて、祭りの時には通りに出店なども出るということだったが、火事になったことは一度もないらしい。すごい。いつかは見てみたいなぁと思った。この松明に火がついているところを。

拝殿向かって左には、樹齢1000年を越す大木があった。「冨士太郎杉」というそうだ。右手には「冨士夫婦檜」という、二本が絡み合った大木が天高く伸びている。完全に深めの‪𝑲𝑰𝑺𝑺‬…を行っている感じの木だった。すごいセクシーな木。セク木ー。は?

参拝を終え、うどんに向かう。山梨のうどんに、「吉田うどん」と言うのがあるらしい。うに先生行きつけのお店に案内してもらい、食べる。天かすを自由にかけていいという最高サービスあり。朝食べてからかなり時間が経っていてお腹が空いていたので、一瞬かきあげも追加しようか迷う。

メニューが色々とあり、初手で食べるべき定番が分からなかったので、お店オススメの肉うどんを注文した。麺がふにゃふにゃしていない。かなりコシの強い麺だ。つるつるモチモチというより、しっかり噛んで食べるタイプの麺だったと思う。美味しかった。ものすごくよく噛んで食べたので、半分くらい食べた時点で結構お腹いっぱいになり、普段からこのくらいの咀嚼を心がけたいと思った。

腹ごしらえを終えて最後の移動場所、「森の中の水族館」へ向かう。

ここ、最高だった。

ご存知の通り山梨も埼玉と同じく海なし県。なので、ここは淡水魚専門の水族館となっている。

規模感としてはそこまで巨大ではなくローカルな魅力溢れる水族館なのだが、館内の真ん中に設置されていたドーナツ型水槽では巨うまそうな川魚が、生き急ぐ様子もなく悠然した様子で泳いでいて本当に美しかった。更には美味しそうだった。この、水族館に行って魚に対する感想に「美味しそう」を持ってくるギャグの感性、私は「おもんなギャグの筆頭」だと思っており自分で言うには気が引けるのだが、山梨と同じく海なし県埼玉育ち、川魚については本当によく食べてきた。祭りに行ったら鮎の塩焼き、ヤマメに、イトウに…。とにかく、うまい。脳に刷り込まれた味の記憶が、思わず私に「美味しそう」と言わせたというわけ。

回遊する魚たちの大きさは大小ばらばらで、食べたり食べられたりと事件が起こりそうでは?と思ったのだが、そういった様子は見られなかった。あれでうまく共存しているものなんだなぁと感心したのだが、あとから調べたらあのドーナツ型水槽は内外で区切られており、外側を大きな魚、内側を小さな魚が泳ぎ捕食を防いでいるとのことであった。まったく区切られているように見えなかった。富士の水はそれくらい透明ということらしい。

「横見水槽」というところでは、とても近くで魚たちを観察出来る。今までまじまじ見たことがない魚たちの、顔立ちやヒレの細部まで分かるのが良い。ベステルチョウザメというチョウザメは本当に愛嬌のある顔をしておりキュートだった。解説を読んだら、キャビアを多く取るため人工的に品種改良された種で、自然界には存在しないということだった。そうなのかぁ…。他にもシロチョウザメなどがいた。こいつのキャビアはめちゃくちゃ高級品らしい。

ドジョウもナマズもいた。アユもウグイも。実際に見るのと図鑑で見るのと魚屋で見るのとでは、やっぱり全然違う。魚は泳いでこそ美しい。

ブリブリのクソデカザリガニだかエビだかもいた。ブリブリにデカかった。デカァ‼️と興奮していたら、そいつがクルクルと体の向きを変えてすべての「面」を見せてくれ、まるで私がとんでもないケツフェチの異常者であることを予め知っていたかのように、「はいはいコレでしょ」と言わんばかりのスピーディさでケツを見せてくれた時には妙な感動さえあった。ザリガニ(仮称)のケツにこんなに興奮することがあるなんてね。ナイスヒップ‼️ナイスヒップ‼️と思いながらありがたく全身を拝んだ。地上で出会ったら、実際には無害でも殺人昆虫ばりの扱いを受けてもおかしくなさそうな見た目なのに、水の中にいるばかりにワンチャン食えるかも…な扱いを受ける甲殻類。カッコイイ。

あと、マリモというと丸いイメージがあるが、丸いマリモは実はレアマリモというのを知れてよかった。

自分が生きやすい環境を自ら生み出すものもあれば、そこで生きるために自らを改革するものもいる。暗い場所、明るい場所、開けた場所、狭い場所、暑い場所、寒い場所、集団で生きるもの、個で生きるもの、食べるものも住む場所も違う生き物たちが、環境に自ら適し、そうして何かを選んだり選ばれたりしながら大きな大きな生態系を作り上げているということを学ぶたび、生き方に正解があるはずないな…と思う。生態というのはかくも複雑で多様で、その複雑さと多様さこそが、結局は生命の美しさと尊さのすべてであるような気がする。何があってもおかしくないんだ。

ちょっとした休憩スポットには川や川魚、釣りなどに関する書籍が自由に読めるスペースなどもあり、そこに「釣りキチ三平」のマンガが3種類くらい置いてあった。棚の半分くらい釣りキチ三平だった可能性がある。少し座って休憩している間、私はうに先生に「セイムスコラボのお陰で失われていた“性”が帰ってきました」という有り得ない話をしていた。

時間をフルに使って山梨を楽しんだが、やはり一回きりですべてを見るというわけにはいかない。だから次回は是非郷土資料館などにも行ってみたい。神社でほんの少し富士信仰について説明を見たが、そのあたりについてはてんで詳しくないので、どういう歴史があるのか気になった。次はもう少し「富士山」に振った旅行がしたいと思う。あと可能なら博物館や美術館にも行きたいし、折角ならやっぱり「ハッピードリンクショップ」にも立ち寄ってみるべきだろう。色をぶっこ抜かれたコンビニも、また見たい。

一日付き合ってくださったうに先生、本当にありがとうございました。次はあのでっかいチンの謎…「トウモロコチンの謎」、解きましょう。畳む
CATEGORY:雑記
好きな芸術家をたずねられて、パッとすぐ頭に思いつく人物が3人いる。アンディ・ウォーホル、フェルナンド・ボテロ、マーク・ライデン。芸術方面に明るい方なら、フェルナンド・ボテロまでは間違いなくその存在を知っていると思う。

こうして好きな芸術家を並べてみると、私の趣味は非常に分かりやすい。テーマが市民的であること、色彩感覚が豊かでカラフルであること。ポップであり、コミック的であり、その中に風刺やアイロニーを感じるもの。人間を、性的な対象としてではなくセクシャルであり美しいものだと捉え、美をある種のグロテスクさと同居させているような。私はポップカルチャーとロウブロウを愛しているが、素晴らしい芸術には個人による個人への感傷から更に一歩踏み込んだ社会的な視座が重要だと思っている。“私のこと”から出発して、“社会のこと”を語る芸術家が好きだ。抽象画より具象画を好む傾向にある。そういう意味では、ピカソやフランシス・ベーコンの作品も好んで見る。

「テーマが市民的」というのは、私にとってはとても重要な要素だと思う。

中世の芸術は貴族や特権階級のための娯楽、あるいは教養だった。神話や王権についてが主なテーマで、主人公は“権力者”だ。絵画の世界は“市民”たちには関係なかった。絵も彫刻も音楽も、日がな一日土くれを弄って過ごす人々を楽しませるものではなく、畑を耕し、牛や羊をひいて生きる人々に必要だったのは、腹を満たさず喉を潤すことのない“芸術”より、その日口に含むためのパン一斤のほうだったからだ。だが、次第に時代が豊かになってくると、市民にも余暇が生まれるようになり、起きている間中食べ物の都合を考えなくていいようになり、学ぶ時間が増え、自分の時間に対してお金が使えるようにもなってきた。芸術は、そこでようやく“市民”にとっての娯楽たりえるものに変わった。

市民というのは、すなわち労働者だ。

ジャン=フランソワ・ミレーの『種をまく人』は『落穂拾い』と並ぶミレーの代表作で、まさしくそんな“労働者”の姿を描いている。それまでの絵画には、主人公として登場することがなかった人々。王権を肯定するための“神”ではなく、生活の糧を生み出す“土”と共に生きてきた人々。『種をまく人』の表情は険しくも、厳しくも、憂うようにも、諦めたようにも、日々をただ淡々とこなしているだけのようにも見える。そこに描かれているのは、崇高な神の姿でも勇ましい神話の世界でも権力の光暈に庇護された貴族の安らぎの表情でもなく、とある農家の一日だ。“食べるための”日々。すなわち労働者の日々。ミレーは、権力者たちの考える“神の完全性”とは切り離された世界に生きる人達の中にこそ、本当の神性というべきものを感じ取っていたのだと思う。ミレーがキャンバスに描きつけたかったものは、労働者たちにとって現実味のない空虚な神話などではなく、土に触れ、種をまき、手を泥だらけにする働き者の姿の方だった。それまでの作家たちが理想化し、景色としてしか扱ってこなかった“農民”たちを、ミレーは初めて“主人公”にした。

ミレーの絵に衝撃を受け、芸術を同じように切り取った画家がいる。ゴッホだ。

先日、『夜のカフェテラス』を眺めに出かけた。今回のチャンスを逃したら次にいつ『夜のカフェテラス』を鑑賞出来るか分からないから、これはもう無理を通してでも絶対行くと決めていた。リム先生が付き合ってくれた。先生はゴッホの絵の中で『夜のカフェテラス』が一番好きだと言う。最高の情報だ。行く甲斐しかない。

朝イチに集合した。こういう人気の展覧会はとにかく朝イチに入るのが良い。それで中に入ったら、先に目玉の展示を見る。目玉展示には長い行列が出来るものだし、見るのがあとになればなるほど混雑して大変だからだ。一旦展示におけるすべての文脈を無視して『夜のカフェテラス』という絵画だけを見に行く。考えることはみんな一緒なので、ほぼ一斉に目的の絵を目指して歩いている。

アイドルの握手会みたいに、スタッフの人達が鑑賞者を列へと誘導し、オブラート10枚で包んだ非常に柔らかめの言葉で「見て写真撮ったならとっとと歩け」というニュアンスのことを言っている。絵の前ではみんながカメラを構えて、待ちに待ったカフェテラスとの邂逅を記録に残そうと真剣な面持ちだ。私もスマホを掲げる。絵を見に来ているのか写真を撮りに来ているのか、そしてそれは鑑賞の態度として自分に認められる善き行為なのだろうかという葛藤がふと生じる。『夜のカフェテラス』を眺めて、目と脳に感動を焼き付けている時間はほんの僅かなものになりそうだ。写真を撮ったら次々人が横にスライドしていく。並んでいる間、人の頭と人の頭の隙間から絵を見る。順番を待って近くで見ることは出来ても遠くからこれを眺めることは出来ないだろうなと思う。

結局写真を撮ってしまう。ゴッホが向こうで「マジかお前ら」と言って笑ってくれていたらいいなと思うが、『夜のカフェテラス』とゴッホに申し訳ない気持ちもわいてくる。おそらく鑑賞者のほとんどが、同じ気持ちをいだいていただろう。

床には『夜のカフェテラス』の列誘導のテープが貼られていて、よく見たら、すごいところにまでテープが引かれている。最も人が入る時には、このくらい並ぶということなんだろうか。だとすると、他の展示を見るのも一苦労だろうな。こんな狭い館内で人の流れが滞ったら、酸欠を起こしそうだ。週末に入るのは人出の多さに面くらいそうでイヤだったので平日のチケットを取ったが、ゴッホ展は先日見に行ったチュリュリョーニス展のかるく5倍は人が居た。リム先生が「平日じゃないみたいだ」というようなことを言っていたが本当にそんな感じだった。

ゴッホの人生の回顧録のような展示だった。

ゴッホというと『星月夜』などに代表される、からくさ模様を連ねたような独特のタッチや、『ひまわり』のようにビビットな色使いが印象的な画家だが、本格的に絵を学び始めた頃のゴッホの作品はどれも暗い。

画商にもなれず、牧師への道も志半ばで閉ざされ失意の中にいたゴッホは、つらく厳しい現実を貧困に喘ぎながらも強かに生き抜こうとする労働者たちの中に、牧師であった父親が説いた信仰だけではない、人間の生来の尊さを感じて新しい人生の目標を定めた。画家になるという夢だ。展示内容を追っていくと、とにかくゴッホという人は影響を受けやすい人だったんだなという印象を受ける。

初期のゴッホに色濃い影響を与えていたのは、ハーグ派やバルビゾン派の画家たちの作品で、ゆえにこの頃のゴッホの絵はすべて落ち着いたトーンでまとめられている。そして彼は、ハーグ派やバルビゾン派の画家たちがそうであったように、室内で筆を取ることより屋外で絵を描くことを好み、大切にした。

ゴッホは父親との折り合いが悪くなってから、神という存在に懐疑的な立場をとるようになったようだ。聖書の世界よりも労働者たちの世界の方に、ゴッホは血の通った人間の精神を見たのだと思う。それは、彼が習作として描いた作品からも明らかだ。ゴッホは高貴なる神の御心よりも、労働者たちの実質的な生活に寄り添う人生のほうに意味や価値を感じた。無骨で寡黙な労働者の声なき声に耳を傾け、ゴッホは彼らを主人公として絵を描きまくった。

しかし、こうして一連の展示を通してゴッホの人生を辿ってみると、彼が若い頃から非常に優れた観察眼を持っていたことが分かるのと同時に、彼がいかに生きづらい人だったのかということもよく分かる。画商として成功せず、父親と同じ牧師を目指して勉強に励むも、貧しい人たちに心を寄せすぎて身銭まで切り始め、あまりにみすぼらしい姿でいたら「教会の評判を下げるから」という理由で解雇され、家族仲にも亀裂が走る。そこに愛はあるんか。そんな彼が失意の底で新たに見出した希望が、“労働者”だった。ゴッホは聖書の言葉より労働者たちの営みを信じた。

ゴッホは、恋愛もうまくいかず、友人関係でも問題を引き起こし、おおむね殆どの人間関係に躓いている。残された手紙から垣間見えるゴッホの人間性は、手放しに“良い人”とは評価し難い。人からの言葉によく耳を傾け、アドバイスにも素直に応じ、様々なものに感激を覚える純粋な人だが、その性質は翻って、高低差の激しい苛烈な気性にも直結していた。叔父から絵を依頼されるも締切までに作品を描きあげられずに怒られ、聖書のような絵を、と依頼されたのに、コッチの方がいいと言って客の依頼より自分の描きたい主張を通してしまう。もちろんすべてにおいて、ゴッホには悪気などない。よかれと思ってやっている。でも、それらすべてが尽く裏目に出る。人間社会に見切りをつけて山篭りしてもおかしくない経歴の持ち主なのに、彼は死ぬまで人と自然とを描く画家だった。このことが、とにかく私に衝撃を与える。

自然の光に満ち溢れた場所に、ゴッホは絶え間なく希望を見出しているように思える。今回の『夜のカフェテラス』を見てしみじみ思った。灰色と茶色の絵を何枚も描いたゴッホ。労働者と労働者の暮らしを見つめ続けたゴッホ。彼の絵の主役はずっと、“花”ではなく“ジャガイモ”だった。フランスに渡り、印象派から多大な影響を受け、市井の人々、暮らしと自然そのもの、「彩り」に目を向けるようになったゴッホ。きっと彼の心を奪ったのであろう、南仏の美しい夜と星。ゴッホは人々が人々だけで行う営為のすべてがきっと好きだったんだ。でもひとたび人間たちの社会に入ると、そこに馴染めない。労働者たちの疲れ果てた顔に神の姿を見るのに、自分は絶対、そんな“神”に近づけない。その性質を誰かに認められることも、慰められることもなかった。本当に、心底孤独だっただろう。弟のテオだけが唯一そんな彼に生涯寄り添ったが、彼の深い孤独を癒すことは出来なかった。

ゴッホの絵の履歴だけを追っていくと、彼の心はどんどん明るい方角に向かって解放されていったように見えるのに、実際にはどんどん心の均衡を失っていった。耳を切り落とすほど、切り落とした耳を好きな女性へ送り付けるほど、そして自らの胸を撃ち抜くほど。そういう人の手から生まれた作品が、これなんだ。それってすごく、言葉に出来ない。

果たして私のような芸術センスのない凡庸な俗人が、遠くから絵を見たところでアートの持つ本質的な意義や価値など分からないと思うし、したり顔して「フムこれは️●●が主題の云々かんぬん」と言ってもしゃらくさく鼻につくだけだと思うのだが、美術鑑賞が最も楽しい瞬間は絵を見ている時より見終わったあと、カフェであーでもないこーでもないとプロの絵に対して素人寸評を繰り出す時の方だという俗物なりの楽しみ方をやったって、それはそれで充分アートを楽しんでいると言えるはずだ。ロウブロウ、すなわち“無教養”でも楽しめるのが、我々のために拓かれた芸術の本来の形だからだ。主人公としての市民が描かれた作品を、作品の主人公である市民、我々が楽しむ。これが作品の本懐でないなら、何が本懐だと言うんだろう。だからたぶん、あの世でゴッホは喜んだりキレたり、ふつうにしていると思う。私たちが彼の絵から受ける印象とその影響について語ることは、ゴッホが生前、自分の絵に期待していたすべてだからだ。

ゴッホが拳銃自殺を図ったのは、7月の終わりだという。そしてその数週間前には、教会の絵を描いていたそうだ。私たちがゴッホを見に行った、その136年前の当日にも、まだゴッホはキャンバスに何かを描きつけていたかも知れない。そのキャンバスに向かい合っている時、彼は100年先の未来で、自分の作品がこんなにも多くの人々から支持を集め、ぬいぐるみにまでなるなどとはきっと夢にも思わなかったと思う。スマホ向けのゲームで美少女にされた上にクトゥルフ関係者にされるなんてもっと考えていなかったと思う。

今回の『夜のカフェテラス』、そして後期に展示される『アルルの跳ね橋』は両方ともオランダのクレラー=ミュラー美術館から貸し出されたものだ。もし、ヘレーネ・クレラー=ミュラーが、ゴッホという人物に深い共感を示さなかったら。彼の孤独にシンパシーを感じなかったら。ゴッホの才能は埋もれたまま、名もなき画家のひとりとしてきっと歴史に埋没していたと思う。資産家姉さん、こんな素晴らしいことにお金を使ってくれて、本当にありがとう。

芸術は自分の宇宙を歩くことだ。人から理解を得られるとは限らない。私が理解出来ることも少ない。だけど、作品があれば、その人が歩いた宇宙の記憶を誰とでも共有出来る。頭の引き出しの中に忍ばせるその記憶が、日常のちょっとした苦しさや淋しさに寄り添う。その事実が私の足元を少しだけ明るくする。地味だけど確かな救いになる。私も私の宇宙を歩く。

私は“市民的な”芸術が好きだ。つまり私たちが主人公の作品のことだ。ゴッホもまた極めて市民的な芸術家だった。彼の人生に、『カフェテラスの夜』のような素晴らしい一夜があったことを、私は非常に嬉しく思う。畳む
CATEGORY:雑記
◎1日目

一昨年京都の推し旅は架緒先生が案内を買って出てくださった。土地勘のある方に案内して頂いたお陰で、一日で本当にスムーズに現地を巡ることが出来た。ひとりだったら、訪問を諦めた場所もあったと思う。タクシーにスマホを置き去りにするなど随所でご迷惑をおかけすることもあって申し訳なかったが、先生たちと巡った京都は間違いなく私の走馬灯の一部になっている。鴨川で聞いた「言わないだろ…恵はそんなこと…」という解像度バカ低呪術廻戦も含めて、本当に本当に楽しい一日だった。

今回の名古屋旅も、近隣在住の先生たちにお付き合い頂いたお陰で、とてもスムーズに各所を巡ることが出来た。今回はしっかり泊まりがけで名古屋に訪問した。東京から1時間半、どうしても日帰りか中継地点としての利用が多くなる名古屋。旅行目的で名古屋に行くのは初めてだったので、きっかけをくれてありがとう推し旅というところ。私はどうしても喫茶店でモーニングが食べたかったので、待ち合わせは昼からだったが朝っぱらから名古屋に居た。

ひとつ大きな懸念材料だったのは、推し旅のページで私のスマホのGPSが感知されなかったこと。新幹線に乗っても現在位置を把握してくれず、結局音声が聞けなかった。オーマイ‼️(※やさしさパークタウン)で、案の定名古屋駅についてもGPSが無反応。旅の洗礼早すぎんだろ!と思ったが、当日はうに先生が各所の音声を聞かせてくれて神だった。本当にありがとうございました。(※なお、GPSが正しく反応していないことを説明し、新幹線の乗車証明を持参すれば、キディランドでの引き換えには問題ありませんでした。柔軟に対応してくださったキディランドの店員さんにも感謝)

初日はおしそ先生と合流して、名古屋城方面から攻めた。写真や映像ではよく見る名古屋城。「名古屋城は近代城だから、あんまり面白くないよ」などと聞かされたことがあり、そういうもんかと思っていたがそんなのまったくの大間違い。戦火による消失から再建築に至るまでの道のり、城を再建した職人たちの技巧、併設された資料館に見た石壁へのアツい想い、織田信長や加藤清正、前田慶次に扮した演者さんが、お客さんとトークを楽しんだり写真を撮ってくれるというエンタメ要素(なんとその日見た演者さんは、カツラではなく地毛であの髪型を再現していてスゴかった)、クソデカ鯱、景気が良すぎる金ピカ本丸御殿、とにかく見所はたくさんある。

ただ、本丸御殿の中には冷房がないため(送風機はあった)、とにかく激烈に暑い。建物内ではあるので直射日光に晒されるわけではないが、本当にずっとかなり暑い。外から差し込む白いほどの光で本丸も輝きを増していた。

音声ガイドもあり、手持ちのイヤホンがあれば無料でガイドを聞くことが出来る。案内人は春風亭昇太さんと徳川家康扮する人だった。徳川家康扮する人ってなんだ。

ひとつひとつの説明が丁寧で、暑ささえなければもっとじっくり観察しながら楽しみたかったところなのだが、何しろ人間を茹でダコにして殺したがっているとしか思えない暑さの中だったので、途中からは体力ゲージがぐっと減ったような感じで、集中力を欠いた箇所もある。涼しくなった頃に絶対リベンジしたい。

入ってすぐの大廊下が早速すごかった。一枚板で幅が6メートルあり、かつ最高の材質のものを使っていたそうだ。昔はここを大名たちがまず闊歩していたわけで、庶民にはまるで縁のない廊下だったはず。現代ではなんの位も地位もない私でもこの大廊下を歩けるのだから、本当に良い時代になった。徳川さん𝑇ℎ𝑎𝑛𝑘 𝑦𝑜𝑢燦々降り注ぐ太陽の舞。

大廊下を行くと「玄関一之間」がある。玄関というふうに名前はついているが、休憩所みたいなニュアンスで使用されていた場所らしい。襖の竹林屏風図(トラとかヒョウが描かれているヤツ)は狩野派の絵師たち(徳川幕府のお抱え絵師)が描いたもので、本丸御殿のものは復元模写なのだが、資料から精密に模写する技能って本当にすごいなと感動する。

本丸の屏風には、トラとヒョウが描かれていることが多かった。トラは東洋の絵や物語にも数多くそのモチーフが存在し、東アジアを代表する猛獣のイメージがあるのだが、ヒョウは一体なんだろう?と思ったら、当時はトラとヒョウが混同されていて、模様の違いは雌雄の差というふうに考えられていたようだ。

天井にも「格」があって、玄関の天井より表書院の天井の方が格の高い造りになっているという説明が面白かった。確かに、奥に進めば進むほど天井がどんどん豪華になっていく。特に、「鷺之廊下」から先は別世界の如くに絢爛なのだが、鷺之廊下の先、「上洛殿」は徳川家康の死後に増築された箇所で、徳川家光が名古屋城に滞在するための宿泊施設なのだそうだ。まあとにかくすべてが豪華金ピカ。英雄王もこれにはニッコリ間違いなし。本丸御殿に入る前、併設されていた資料館に入って現存する天井の一部を先に見ていたのだが、かつてはアレがコレだったのか!と思ったら感動も一入だった。

この「鷺之廊下」より手前は桃山文化を継承する建物で、金ピカ屏風や障壁画などはそれを代表する文化なのだそう。そして鷺之廊下より先にある「上洛殿」は、寛永文化という江戸の初めに発生した文化芸術を体現した内装となっていて、色使いも桃山文化時代の「金」を中心とした色彩から青や赤や黒などより濃く際立つ色彩へと変化し、日本や中国の古典を立体的な装飾として施すなど、教養重視のおもむきも随所に見られる。説明をしてくれた春風亭昇太さんと家康公(というていの方)、ほんまにありがとう。

襖や欄間の装飾には様々な動物たちが描かれたり彫られたりしていたが、トラやジャコウネコやサンジャク(鳥)は当時の日本には存在していなかった動物で、でもそれらすべて、なんらかの福をもたらすありがたい生き物と考えられていたらしい。昔からパンダ好きな国民性なんだなと思う。

この音声ガイドのすごく良いなと思ったところは、ガイドが文字起こしされていて文章でも読めるというところ。

名古屋城本丸御殿は、本当に歩く美術館みたいな感じだった。当時の人たちもここが完成した時には、「新築の匂いする(笑)」「飾りでか(笑)」「ここに刀飾ろうぜ(笑)」とか言って喜びまくっていたと思う。しらんけど

本来の名古屋城は戦火によって天守閣も本丸も焼失した。失われた数百年の歴史の上に、もう一度かつての姿を留めおこうと再建されたのが名古屋城である。明治に入り、城は陸軍所轄の軍事施設となり、「名古屋城」とすら呼ばれなくなった。城を残存させるための運動があり、姫路城とともに保存を決定されるも、濃尾地震が発生、城の一部が損壊し、本丸多聞櫓などは撤去を余儀なくされた…という、名古屋城が辿ってきた大凡の歴史は、名古屋城の公式サイトにその詳細が書かれているのだが、泰平の世を築いた徳川の命によって建城され、諍いだけではない江戸の平和をも見つめたであろう名古屋城が、明治に入った途端まさに戦争当事者による統治の現場になってしまうというのは本当に皮肉な話だと思った。

第二次世界大戦の戦争末期には、軍需産業の主要地点であったことからここ名古屋の地には大量の焼夷弾が降り注いだ。戦争によって姿形が奪われる前、城にまつわる様々な資料が残されていて本当によかったと思う。ここまで精密に城全体の再現が可能なほど大量の資料が残され、当時の城の内装(現物)の一部も疎開していたという話からは、いずれここも戦火に巻き込まれ、そうなれば城も無事では済まないだろうという当時の人々の危機感も伝わってくる。

過去数百年、数千年の時を超えて現代に残存するものを鑑賞することと、現代の地点から向こう数百年、数千年の未来に向けて残っていくであろうものを鑑賞することは、何かを観察したり考察したりする時に、まったく同じ志向性を持つわけではないと思う。再建された城は向こう数百年に向けて歴史を語り続けるもので、未来の地点から考えたら、今まさにこの美しさの本丸内部の様子を観察出来るというのは、非常に貴重な機会だと言える。未来人の気持ちになって城を見たら、それはなんと素晴らしい体験だろう。

というわけで、名古屋城は最高に楽しいお城だった。また行きたい。次回は武将グリーディングにも参加したい。

名古屋城を見終えて金シャチ横丁に行く頃には体が内側から燃えるように熱く、あらかたの体力を失っているまであった。日焼け止めを塗ってはいたが、本当に効果あるかな?というくらい陽射しが痛くて太陽から明らかな殺意感じた。

かなり余談なんだけど、当日の暑さの予報を見て初日はサンダルを履いていった。が!サンダルはもうあの暑さでは本当にオススメしない。絶対にやめたほうがいい。なぜならアスファルトの照り返しが足をめちゃくちゃ焼くからである‼️(日焼けするという意味ではなく文字通りの意味)足の暑さは、地味だが確実に人の体力を奪う。もちろん日焼け止めは塗っていったがそれでもうっすら日焼けしている。あの照り返しの中をサンダルで歩くのなら、より強力なSPF50が求められる。余談おわり。

悠仁のパネルが立っているところでコラボアイスを買い、日陰で食べたらなんと元気が出た。アイスは4種類ともめちゃくちゃ美味しかった。おしそ先生が「内側から体が冷えるって大事だなぁ」と言っていたが本当にその通りである。アイスを食べたら体感温度がリアルに下がった。

悠仁のパネルはなぜか乳首の位置に指でド突かれたっぽい凹みがあり、とんでもない狂いキモの乳首変態がかつてそこに立っていたことを匂わせていた。今更狂いキモの乳首変態に言っても遅いと思うけど、パネルの乳首をド突いて凹みを作るような迷惑行為は絶対にやめて頂きたい。パネルには発情しないように。

ちょっと遅めのお昼を食べて、名古屋城から灼熱の名城公園に移動。ゴーヤ先生と合流する。

名城公園は灼熱すぎて、ボイスを聴いて即撤退した。なぜなら、あそこにあれ以上立っていたら死ぬからである。

ちなみにボイスはかなりよかった。これは本当に妄言なのだが明らかに恵はすべてのセリフを悠仁に語りかけていた。恵はこういう遠回しな言い方じゃないとデートに誘えない男だからだ。常に悠仁からの「じゃあ、一緒に行く?」とか、「え、いいじゃん行こうよ」とか、「伏黒とだったら行っても楽しそう!」とかいう言葉を待ってしまうのが伏黒恵という男だからだ。自分から「デートするぞ」とはなかなか言えないのだ。そんなの恥ずかしいからだ。あと断られた時のことを考えると気まずいからだ。だから「ここにはこういうアレソレがあって、こういう歴史があって、憩いの場もあって、買い物にも困らなくて、楽しいらしい」みたいな話をチラチラして悠仁の気を引くのだ。泣けてきた。

時々「お前一体誰なんだよ…」という語彙がチラチラ覗くが、京都の恵のIQなさに比べると明らかに飛躍的に恵の知能指数が向上している。恵が賢くなっている‼️

ミライタワーに移動し、折角なので展望台に登る。日本に現存し、かつ稼働する唯一の手動式エレベーター。すごい。私は高いところが好きなので、高所には積極的に登りたい。

恋人たちの聖地としても有名らしく、スカイバルコニーにあがると恋人たちキーホルダーみたいなものがたくさん飾られている。今日一緒に来ている人の中で唯一の恋人同士は「ちみめゆ」しか居なかったため、「恋人の聖地」と書かれたオブジェの前でとりあえずキッスだけさせておいた。タワー内にはホテルもあり、結婚式も挙げられるとのこと。ちみめゆのヤル気がにわかに上昇するのを感じ取る。

オアシス21は大きめの商業施設というかんじだった。ここで明日原先生とも合流。オアシス21は今まで立ち寄ってきた場所の中で最も人が多い。というか、名古屋城からミライタワーまで、祝日感がまるでない人出すぎた。暑すぎたせいだと思う。直腸の温度は平均して37度だというから、37度の空間を歩くということはケツ中を歩いているのと同じ。暑さのせいで人そのものがンコになる。ハ⁉️⁉️⁉️⁉️

全然呪術旅と関係ないのだが、どんぐり共和国(ジブリのグッズがめちゃあるところ)を見つけたので入った。それぞれに好きなジブリ作品があり、思い入れポイントの話などをして楽しかった。最近魔女宅観て感銘を受けたばかりなので、8月の3週連続ジブリが今から楽しみです。

名駅に戻って夕飯。ここす先生とも合流。たくさんお話した中で特に記憶に残っているのは、ここす先生がケツバトラー愛好者だったということ。うれしくて、握手をしてしまいました。おしりに支配された人生。

行きがけに名駅周辺のお店を探していて、なんとなく目処をつけておいたお店に入ったがなかなか良いお店だった。帰りに「ご縁がありますように」の五円玉を頂き、そんな対応は初めてのことだったので、名古屋にはこういうのもあるんだ…と思った。(こちらの五円玉は、翌日の上野天満宮でお賽銭に使いました)

さて余談だが(余談が多い)、朝早くに名古屋駅についてモーニングを食べたあと、名古屋駅周辺を散歩することにした。とはいえ外を歩き回るのでは暑いので、なるべくは建物の中に入っていたい。それでふと、そういえば名古屋に来て金時計前で集合し、そのままタワー内に行くことはあっても高島屋に入ったことはなかったと思い、中に入ってみることにした。そこで私は感動した。高島屋が、上から下までしっかり「デパート」をやっているということに。

ここ最近はデパートというものに、あまり明るい話題を聞かない。私の地元のデパートも潰れて、よくあるファミリー向けの商業施設がその外観だけを引き継いだ。

近年デパート業はどこも経営が厳しいと聞く。ハイブランドのお店を展開する一方、若者向けの雑貨店やキャラクター系のコラボイベントなどを開催して顧客の間口を広げようとする動きが活発で、デパートというより「ハイブランドも入ってはいる」みたいな感じの施設になりつつある。渋谷の西武もコスメ売り場は盛況に見えても階を上がれば上がるほど人が閑散とする。閑散というレベルじゃない時もある。というか、あった。西武渋谷も閉店が決まっている。西武はデパートで生き残ることをどうも諦めたらしい。西武池袋も、自身の保有先であったセブン&アイHDに売られ、売られた先の海外ファンドが再開発をヨドバシHDに一任したことで、あの西武池袋がヨドバシカメラになってしまった。それで早速現場ではンコ漏らされてるんだから、ついたミソがデカすぎるってレベルじゃない。

そこそこの価格帯のお店が売り場を占めつつ、他方で若者でも買い物がしやすい店舗もラインナップされている都市型の商業施設はそのまま都市型商業施設と呼ぶべきもので、「デパート」とはまたおもむきが異なる。だから、例えばヒカリエや東急プラザといった施設はデパートとはまったく性質の違うものだと思っている。

で、名古屋の高島屋はどうだったかというと、私が小さい頃にめっちゃ憧れたデパートそのものだった。どの階を見ても、「気軽に手は出せない」という空気感がある。コリだよコリィ!と手を叩いて喜びたい気持ちとこんな格好で訪れてしまいすみませんという気持ち。当たり前に何も買えないが、こういうところで買うからこそ意味がある、こういうところで買いたい!と思わされるブランドの求心力が最大限に発揮されている。

翌日ふとその話を明日原先生とここす先生にしたところ、この高島屋の景気は悪くないらしい。ということは、まだ名古屋にはデパートで買い物をする人が居るということだ。デパートでものを買うという文化が、この都市の中心地には残っているということだ。それはなんていうか、すごく誇っていいことのような気がする。だからこそ、今更ながら名鉄百貨店の閉店は本当に強く惜しまれる。駅前の大規模再開発は、その土地がもつアドバンテージを十分に活かしたものにするべきだ。私は正直、都市型商業施設の未来はあまり明るくないと思っている。

名古屋城の近くには名古屋市役所があり、この市役所の外観があまりにも城すぎて、「この形の市役所は名古屋でないと無理ですよ、名古屋すぎますよ」とおしそ先生にも話した。街中に突然現れるオブジェ、奇抜な形のビル、どこを歩いていても「名古屋人」という精神性そのもののような何かと出会う。歩道の緑は東京よりもはるかに多く、市バスが多く走り、東山線の女性専用車両はなんと終日、店員さんの対応はどこも素晴らしく、旅行者として訪れる名古屋はなんて楽しいところだろう。

私は一日で名古屋が相当好きになった。私はこの金ピカ文化がかなり好きだ。住みたいまである。しかし道ゆく名古屋男性がコピペでもしたんかというくらい同じ格好をしていて全員が本当に同じ空気感をまとっていて怖すぎるという点がすべての名古屋の良さを相殺しかねないレベルだったので、移住はよくよく考えたい。名古屋は宇宙すぎる。素晴らしいものと恐ろしいものが渾然一体すぎるから。

とにかく、1日目の名古屋旅は本当に本当にめちゃくちゃ楽しかったです。一日お付き合いくださったうに先生とおしそ先生、そして合流してくれたゴーヤ先生、明日原先生、ここす先生、本当にありがとうございました‼️(翌日もうに先生と明日原先生とここす先生とは行動を共にしたのですが)

◎2日目

名古屋に行くぞ!と明日原先生に伝えたら、お手頃な価格帯のホテルを紹介してくれた。名駅からは少し離れるが決してアクセスの悪い場所ではなく、ホテルからほど近い場所で(本当にほど近い場所だった!)モーニングも提供が出来ると。更に先生は、推し旅地図まで作ってくれた。地図には、名駅から出発して各地を回るのに、駅でいうとどこが最寄りでそれが名駅からどの程度離れた場所にあるだとか、この辺は大体一気に周ることが出来るとか、そういうことが書き込んであった。

地下鉄の一日乗車券の話や、晩御飯を食べるなら駅直結の場所からは離れたほうが混雑していないかも知れないという話、土地勘のある人からしか得られない情報をたくさんくれた。

ご紹介頂いたホテルに宿泊を決めた。ホテルの方は、アットホームで本当に親切だった。明日原先生とモーニングを食べる約束をした。自分はわりと長くオタクをやっているほうだと思うし、ここ3年くらいは特に泊まりがけで遊びに出かけることも多かったが、先生たちとモーニングを食べるのは今回が初めてのことだった。一緒に朝食を食べるって嬉しい。

明日原先生が手配をしてくれて、本当にすごくすごく美味しいモーニングセットを提供して頂いた。美味しすぎて元気モリモリになるトーストだった。コーヒーも美味しかった。感謝しかありません。この場を借りて改めてお礼を申し上げたいです。本当にありがとうございました‼️

昼過ぎまでは一緒に行動出来るという話だったので、上野天満宮までは明日原先生ともご一緒した。いざ悟の親戚のもとへ…(悟の親戚のもとではない)

とてつもなく余談だが名古屋は関東とテレビの内容にあまり変わりがなかった。地方局の番組がないという意味ではなく、番組のテンションが同じという意味で、変わりがない。バラエティのテンポが同じというか、実際の制作会社の所在地はともかく出自が同じに感じに思える。

関西のホテルに泊まってテレビをつけると、「ああ、ここは関西なんだ!」と思う。バラエティが全部西のお笑い。吉本の天下国家ぶりが感じられる。個人的な感覚だと、関西のお笑いはロケと芸人による芸人トークが中心で、司会からゲストから全てが芸人さんだったとしてもそれのみで番組を成立させられるけど、関東のバラエティはゲームが主体ですぐ俳優やナゾの専門家と一緒にクイズやスポーツをやろうとする、みたいな…。あと関東のロケ番組はお笑いよりオシャレを優先しているので、麻布とか自由ヶ丘のオシャレ隠れ家カフェとかオシャレ牛一頭丸ごと買い焼肉屋を紹介して隠れ家要素をぶっ殺しまくっています。余談おわり。

名古屋の朝は自宅で迎える朝と同じだった。朝のニュースが同じだからだ。

そんな朝のニュースが、「余計な外出はするな」とかなりストレートに外出禁止令を発令していた。

埼玉もその日は熊谷で40度の予報だという。

週間予報は、東海地方が今週見舞われるでろう悪魔的な暑さを伝えている。名古屋・岐阜においては、7月中の40度は観測史上初らしい。なるほど命懸けの外出というわけだ。

命懸けで、オリたちは悟の親戚んちに(※親戚んちではない)行くんだ…!

前日に、上野天満宮まではバスでも行けるという話をここす先生から聞いており、調べたら駅から歩くよりかは近いということも分かった。帰りは最悪タクシーを拾って駅まで戻ろうという話をした。命は金で買う。

お昼くらいにここす先生とも合流し、名駅から市バスに乗る。バスの中で、なぜか私は池袋連続脱糞事件の話をしてしまう。私の精神年齢が低すぎるせいで、ンコの話ですぐ盛り上がってしまうんだ。

バスに乗って30分程度だったと思うが、上野天満宮最寄りに到着する。バスを降りた途端に降り注ぐ灼熱の太陽。頭上から差しているものはもうただの「光」などではなく「天罰」であり、夏とはもはやなんらかの贖罪のための季節であるということを、毛穴のひとつひとつを突き刺すようなこの暑さで理解する。

日傘を傾けてくださった先生たち、本当にありがとうございました。

この暑さだし平日だしで、人はまるきり居ない。苛烈なほどの太陽光が砂利に反射して目ん玉まで燃えるようだ。砂利の上に落ちる影が濃い。手水舎で手を冷やし、日陰で一旦涼をとる。昨日のうちに買っていたヒヤロンを握りつぶして首などに当てていたが、通常なら最低でも30分は冷たいヒヤロンが5分も経たないうちにただの水が入った邪魔袋に変化してしまった。泣くぞ。

夕飯を食べたところで帰りに頂いた五円玉を賽銭で投げ入れて参拝。

天満宮には「なで牛」という牛の像があり、頭を撫でると賢くなると言われているそうだ。バスの中で開口一番に池袋連続脱糞事件の話をしない程度には賢くしてもらおうと頭を撫でたら、太陽光を浴びまくった牛の体は猛烈に熱くなっており、触った人みな「ドゥワッ」というリアクションをしていた。しかしまあ、牛を焼くことの方が多い人生、たまには牛に焼かれることがあってもいいだろう。

待合室のような場所があり、そこへ入ると一気に体が生き返るほど涼しかった。昨日から、体力ゲージが減るたびに涼しい室内に入ってギリギリのHPを保ちながら移動するゲームをやっているみたいだ。

待合室には菅原道真公の像があった。凛々しいお顔立ちだった。

折角なので、おみくじを引いた。内容は吉。謙虚に生きようと思う。

売店には榎木淳弥と瀬戸麻沙美さんのサインが展示されていた。「撮影OK」とわざわざ札も立っていた。榎木淳弥の願いを見たら「みんなが領域展開出来るようになりますように」みたいなことが書いてあった。思考が羂索寄りすぎる。一方で瀬戸さんは「みんなの願いが叶いますように」みたいなことを書いている。優しい。瀬戸さんのほうが虎杖悠仁含有量が高い。

参拝を終えてデニーズで昼食をとった。ファミリー席みたいなところに座れて嬉しかった。マキバオーとケツバトラーの話をした。どうしてもンコとケツから離れられない。

明日原先生が色々調べてくれて、ファミレス正面のバスの時間がちょうどいいことが分かった。最後の最後まで本当にありがとう…。先生はこれからお仕事だから途中でバイバイだったが、最後は踊って見送ってくれた。私も次回先生とバイバイするときは「ば・く・れ・つ」と歌いながら踊ろうと思う。

うに先生とここす先生と栄に戻り、残されたスポットを回る。まずはフラリエに向かった。

フラリエは綺麗な庭園だった。レイヤーさんの撮影スポットとしても解放されているらしく、まどマギのレイヤーさんたちが撮影していた。洋風の庭園はどこも手入れが行き届いていてかわいかった。こんなとんでもない暑さでさえなければ散歩するのも楽しいだろうなと思った。次は涼しい頃にもう一度来たい。私は大量の人間より大量の草に囲まれている方が情緒の安定するタイプだ。それに、かわいいカフェもあった。次はあそこで茶をシバきたい。

屋外レストランでは名古屋のヤリラ、名古ラの集団がウェイしていた。

フラリエから歩いてキディランドに向かう。なぜか自分のスマホではGPSが探知されず(マップアプリなどでは問題なくGPSが反応するのに)、スタンプラリーがひとつも出来ないという悲しい事態が発生してしまったため特典が貰えるか不安だったのだが、GPSが反応しないことを説明して乗車券を見せたらお店の方がきちんと対応してくださり、キーホルダーをゲットすることが出来た。よかった。ありがとうございました。

最後はJRタワーで特大パネルを見てフィニッシュ。考えてみれば、呪術廻戦というジャンルともなかなか長い付き合いだなぁ…とひとりしんみり思ったが、うに先生やここす先生は私がハマるより前からずっと「めぐゆじ」なんだもんな…それって…それって…すごく…すごく………良いねッッッッッッ‼️まだまだめゆを好きでいててほしい。アニメでもいつかは本当の本当の最終回が来るけど…うちらはあの266に向かって、ひたすら祈りを捧げるだけ。信じるからなMAPPA。

帰りの新幹線の時間までカフェに入ってクソデカクリームソーダと格闘していた。金額的にも、もうワンサイズ小さい通常のクリームソーダを想像していたのに、デカイのが出てきてビビった。逆写真詐欺を久しぶりに味わった。美味しかったし体から熱が引いて体力も回復した。最後まで楽しいと美味しいがいっぱいだった。

通過地点として、または日帰り先としてなら何度も来た名古屋。初めて名古屋に来た時は名駅のトイレにトイレットペーパーがなく(※紙だけじゃなく、ホルダーごとない)おったまげた名古屋。河村市長が毀損したイメージは著しく、名古屋と聞くとどうしてもあの金メダル噛みつきジジイが頭を過ぎって今ひとつポジティブな印象がなかった。あそこは味噌と見栄の国。しかし、そんな印象だけで名古屋を捉えていたのはすべて過去の話だ。

それはもう、ものすごく楽しい2日間だった。推し旅を抜きにしても、単純に名古屋の街は歩きやすく、都心に緑が多く、建物は奇抜で、面白い。旅行先として、非常に優れた場所だった。

コンサートにしても展覧会にしても、「名古屋飛ばし」はわりと常態化しているというし、まわりの人に聞いてみても、名古屋に「旅行」しに行ったという人は少ない。メディアが語る名古屋のイメージは、味噌ときしめんとエビフライと中日ドラゴンズから特に変化も進歩もないし、行く前は、名古屋のことをこんなに好きになるとは微塵も思っていなかった。だが、とにかく、旅先の名古屋はいいところだった。推し旅、新しい発見の機会をくれてありがとう。

そういえば、名古屋城の展示の終わりには、募金箱の概念が覆るような募金箱が設置してあった。名古屋人の魂が、これをこうさせるのだと思った。街中にあるすべてが「名古屋」だった名古屋。また旅行に行きたい。

そして何よりこの2日間でたっぷり遊んでくださっためゆんちゅたち、本当に本当にありがとうございました!

現地の人達のアドバイスや協力のお陰で、すごく快適で楽しい旅を楽しめました。一緒に遊んでくれたことに感謝。持つべきものは友。埼玉に旅行しに来ることがあればすべて私にお任せ下さい。畳む
CATEGORY:雑記
2024年7月、福岡へ行った。

指定の集合時間よりだいぶ早くに約束の場所についた私はベンチに座って「ケツでかい ゆじケツでかい クソでかい え?ホントでかい なにこわでっか」という短歌をしたためていた。集合場所に早く着きすぎていたし、スマホを弄ることくらいしかやれることがなかった。デカケツ短歌を投稿し、いきおいデカチチ短歌も書き上げた。「ゆーじくん!ちちまででかい!しぼれまそう!うそ すみません しぼりません 死」というデカチチ短歌をSNSに投稿し終え、満足して顔をあげると、目の前にうに先生が居た。羽田空港の思い出が何かあるかと問われたら、この日のことを話すしかなくなる。デカケツ短歌とデカチチ短歌とうに先生。

羽田空港は第1から第3までターミナルがあるが、第3ターミナルについてはほとんど何も知らない。だから、第3ターミナルに羽田エアポートガーデンという施設があることも知らなかった。呪術廻戦コラボのお陰で、空港に併設されている施設のことを知った。オタク、知との出会いがいつも自カプ。

ラーメン屋のコラボメニューに「抹茶スープラーメン」という謎のラーメンがあって、どうしても気になった。お店に入るまで抹茶スープラーメンを食べる気満々だったのだが、カップリング者と一緒にコラボをキメているなら自カプラーメンを作るべきではないか?と、脳内の自カプマナー講師に嘘のマナーを吹き込まれて急遽悠仁のラーメンのほうを頼み、テーブル上に自カプラーメンを生成した。抹茶スープラーメンに関してはちょっとだけ食べさせてもらったが、抹茶の自己主張は控えめで美味しかったと思う。悠仁のは肉まみれで味が濃かった。私が老人だったら味の濃さで死んでいた。

昼時に集合したのでお店には行列が出来ていたが、みんな分かりやすくコラボメニュー狙いだった。仲間がたくさんで心強い。机に祭壇を作り上げている方もいて、たいしたものだった。

食べ終えたあと物販やパネルを見た。小さい方のアクスタを買うつもりだったのに、自カプの攻め様があまりに攻め様の顔をしており、攻め様にしか許可されていない足の長さに感動してしまい結局大きい方のアクスタを買った。大は小を兼ねる。チンはポーを兼ねる。悠仁の腰つきが妖艶すぎて、しかも胸の主張も激しい。巨大な性のシンボルが、健全な週末の、健康的な日中の、聖なる空港において、堂々たるパイオツ展開を繰り出している。こんなことが、あっていいのか。どうなっている。困惑と同時に私は下心を隠しきれない。どれほど懸命に取り繕っても、私の中には妖怪下ネタおばさんが棲んでいるのだ。その妖怪下ネタおばさんが、むこう半年分くらいの下品な感想を並べ立てまくってくる。勘弁してくれよ。2年前に羽田で書いた、あのデカケツ短歌とデカチチ短歌を不意に思い出した。はからずしも、私は真実を書いてしまっていたようだ。

パネルは正面からの彼らしか描いていない。しかし私の第六感、否、悠仁のケツの存在感を捉えることにだけ特化した私の第七感は、悠仁の丸い無防備なケツが今、恵の前でプリプリと音を立てながら縦に横に動いていることを確実に予感した。あんな腰つきでケツがプリプリ言ってないわけがない。私たちの見えないところで言わせまくっているんだろう、ケツを。プリプリと。クソッ。アテンションプリプリプリーズ。当機は間もなくドカ尻空港に着陸します。ウワーッ!やかましすぎる。

許し難いほどプリプリしているケツを感じながらパネルを撮影した。特大パネルの方は上半身だけが切り抜かれていたが、どう考えても自カプが切り取られた画面下で手を繋いでおり、狙っているとしか思えない配置だ。

物販は七海のアクスタだけが総攫いされていて、納得感が強かった。七海、あまりに機長服が似合いすぎて、TL(ティーンズ・ラブ)の化身みたいになっていたものな。

食後におやつ(コラボドリンク)をキメていたところでスズキ先生と合流した。悠仁のマンゴーハニーナントカとかいうソフトクリームが乗ったドリンクで、これがかなり美味しかった。このまま一気に畳み掛けるしかないと思って、りんご飴も買った。カットしてもらっていたところ、見知らぬ子供たちがコラボりんご飴を見て「なんで黒いの?」と素朴な疑問を投げかけていて、確かにこの黒いのはなんなんだろうと思った。舐めても食べても特に味がしなかった。ただ黒い粉が降りかかったりんご飴だ。

充分グルメを楽しんで、エアポートガーデン内のお店をいくつか見て羽田を離脱した。羽田空港の思い出を振り返った時、デカケツ短歌とデカチチ短歌が真っ先に出てきた自分は土曜日をもって消えた。これからは、ドカ尻悠仁のプリプリ空港物語だ。虎杖プリケツエアラインだ。悠仁デカパイ線ターミナルだ。そして恵のドチンチンフライトだ。フゥーッ。助けてください。

ところで私は、先日金曜ロードショーで「魔女の宅急便」を観て泣いた。虎杖プリケツエアラインを爆誕させる一方で、私は魔女宅に感涙出来る脳みその持ち主でもある。期間限定でリバイバル上映をしているというから、この機会に先生たちとどうしても映画が観たかった。

映画館に行ったら、魔女宅のパンフレットも売っていた。やった!買った。1100円だった。ふと、当時のパンフレットは一冊いくらだったんだろうと思った。

宮崎駿はロリコンだという言説を、ご本人には本当に申し訳ないが私は額面通りに受け取っていた。なんとなくそういうイメージがあって、そのイメージが負の面に傾いて聞こえていたせいでジブリに対しては大人になってからもあまり興味がわかなかった。むしろ、大人になってからの方が興味がなかった。小さい頃には結構作品を観ていたが、私はどちらかというと賑やかで明るいパーティみたいなアニメが好きだったし、ジブリよりディズニーを好んだ。

それがふと金曜ロードショーで魔女宅の再放送を観た時、その物語のあまりの素晴らしさに泣いた。思春期の成長をこんなに鮮やかに切り取って、「こども」という存在をこんなにも主体的な個人として正面から描いた作品が他にあろうか。誰もが通るもどかしい時期、アイデンティティの揺らぎ、あの嵐のような感性の中、自力で岸を渡るこどもたち。そしてそんな子供の成長を見守る大人の、あたたかな眼差し。

子供の問題を子供だけの力で解決させようとする物語はこの世にたくさんある。子供には、そういう物語もまた必要だからだ。子供は大人になりたい。ならねばならない。彼らは大人としての意見を持ち、大人のような権利を求める。自由と葛藤。矛盾と義務。自分の問題を自分で解決したいと思うのに、そう出来ないもどかしさ。そのもどかしさと戦うために、その背中を押すために、あと一歩の勇気のために、子供たちが子供たちだけの世界で活躍する冒険譚がある。

でも魔女宅はそうではない。

キキはすべての困難を、知らず知らずのうちに差し伸べられた大人たちからの手によって乗り越える。彼女がたったひとりの力だけで成しえたことは、実は何もない。でも、彼女は常に努力の先頭に立とうとする。嵐の中を飛ぶ。様々な対話の中でヒントを掴み、生きるために必要なことを少しずつ学んでいく。感動もする。嫉妬もする。いろんな感情が同じ心の中で暴れ回っている。大人になるにはいつも痛みが伴う。その痛みに涙することだってある。魔女であるいぜんに、キキは少女であり女性なのだ。キキはかつての私たちで、今を生きる彼女たちで、これからの子供たちだ。

魔女宅の魅力はもちろんキキにある。不思議なもので、彼女の存在は大人になればなるほど身近だ。そしてそんな彼女と同じくらい、キキを取り巻く大人たちが素敵だ。キキのことを13歳の少女と認識しながら、それでも決して彼女を「こども」扱いしない。だけどキキは大人でもないから、周囲の大人たちは、大人として見られる面倒のすべてを当たり前のように見る。

キキのお父さんは、キキに対して「まだ早い」とは言わない。相手はもう13歳の女性だからだ。でも、彼女はまだ13歳の少女なのだ。だから「いつでも帰っておいで」と言う。“いつの間にかこんなに大きくなった”キキを抱きしめて。

私はもうこの冒頭でじゃぶじゃぶに泣く。愛だから。キキが旅立てるのは、この愛があるからだ。

そのあとも色々なところでじゃぶじゃぶに泣く。パン屋の亭主がキキのためにパンのリースみたいなのを店の窓にぶら下げてくれるところとか、ウルスラがキキと出会って絵を描きあげられたって話すところとか。キキは偉大なことを成功させているエリートじゃない。スーパーパワーを持っているわけでもないし、なんのカリスマでもない。でも彼女がただ「キキ」として生きているだけで救われる人の心ってものがある。そんでそれは多分、私たちだってみんなどこかで出会うことなんだ。そこに何かの「功績」なんかなくたって、自分が自分というものをただ生きているだけで、誰かの救いになることが、あるいは、誰かが誰かのままただ生きているだけで、私の心を救う瞬間が、人生には絶対にある。キキはまさにウルスラにとってそうだったし、ウルスラもまたキキにとってはそうだった。

特別な親切や思いやりではないもの、何かの返報を期待したわけじゃないもの、そういうものが自然、自分や自分以外の人の視野を不意に広げてくれることがある。なんでもないと思い込んでいる自分の行為や行動が、本当にただ無意味に終わっているかどうかなんて、一体誰になら分かるの?私の預かり知らないところで、人の想像の及ばぬほんの僅かな隙間で、それが小さい光になって灯る可能性がどうしてないなんて言えるの?私はキキとウルスラのお泊まり会のところでもこうしてじゃぶじゃぶになり、マスクの下にミクロな洪水を生み出すことしか出来ないのであった。

キキは友達作りが下手なタイプでは決してない。だって田舎では同世代の子達がお見送りしてくれたもんね。でも都会の垢抜けた空気感や、魔女のいない世界では自然と浮いてしまう自分では、なかなか同世代の子たちの輪の中に入れない。自分はどうやらみんなと違って、その差は誰かを喜ばせるものではどうやらないらしいということに戸惑いを覚えるわけですよね。そんな中、はじめて出来たトンボという友達が、なんかあんま好かんと思っている女の子とも仲が良いと知って、「なんでェなんでェ!」となってしまう。このいじらしさ。素直さ。こっちはもう「はじめてのおつかい」見ているのとあんまり変わらないマインドで泣いている。成長って痛いし、不安だし、怖いよね。キキはもう、そんなことで腹を立てている自分のこともイヤ。だからスランプに陥ってしまう。それまで自然に出来ていたことが、ぎこちなくなる。

そんな彼女がウルスラとの対話の中で、これは誰にだってあることなのかも、と考えるキッカケを得る。今出来ること、出来ないことに対して、ちょっとだけ冷静になる。そんでお泊まり会の帰りにあのニシンパイのおばあちゃんちに寄って、ただ純粋なやさしさを受け取る。これは、やっぱりおばあちゃんの、孫娘に向けるような素朴な愛情ですよね。キキは大人になろうとしているけど、心のもう片っぽでは子供の自分を大人に慰めてもらいてぇわけよ。複雑だよな子供って。誰もが通ってきた道だと思うよ。子供でいたくないし、大人になりたいし、でも子供として自分が寄りかかれる大人が傍にいないとまだ怖いんだよ。ひとりで歩くには地球があまりにデカすぎるんで。

そして気持ちが少し上向いてきた時に、トンボの危機を知る。キキがおじさんからデッキブラシ借りて飛び立つシーン、あのデッキブラシはまさにキキの心そのものですよね。真っ直ぐ飛べよ!もっと高く飛べよ!しっかりしろよ!自分が自分に一番言いたい。自分への叱咤激励。出来るだろ、やるんだよ、お前、と。葛藤を一旦キャンセルして、キキは飛び立つ。助けたいから。トンボはこの街で出来た初めての友達だから。

魔女宅の好きなところ、子供の成長物語にありがちな「冒険」や「恋愛」をストーリーに盛り込んでいないところ。キキは魔法世界に行ったり異世界に飛んだりしないし、トンボのことも別に恋愛対象として見ていない。それはトンボも同じだ。住んでいる街と自分。友達と自分。全部が自分の0地点から徒歩圏内。そこが、本当に好きだ。

宮崎駿は確かに「女の子」が好きだと思う。でもそれはセクシャルな事柄から眼差されたものではなく、おそらく、人の成長においてもっとも伸び代のあるこの時代、まさにこの世代の人達の営為そのものに夢やロマンを感じているんだと思う。本当に(所謂、性的な含みを持たせた性的趣向者としての)ロリコンなら、「胸は平べったいのが至高!」とか言ってナウシカのことも貧乳に描いたでしょう。でもそうではない。少女はいずれ大人の女性になる。その過程には葛藤がある。達観もある。情熱的でありながら冷静で、無鉄砲でありながら思慮深い。少女性と母性を右と左の手にそれぞれ携えてどちらも手放さないというような時代が、彼の目にはとてもロマンチックに映るのかも知れないと思う。魔女宅のキキはこどもでありながら、ひとりの人間として主体的に描かれている。大人に振り回されるこどもでも、大人を振り回すこどもでもない。幼稚じゃないがこどもっぽく笑い、大人ではないが成熟した人間観を持ってもいる。多面的な人間の、その中でも特に「善性」というものを、宮崎駿は信じているような気がする。

「だから宮崎駿は、光のロリコンなんですよ」

ぐずぐず鼻を鳴らしながらスズキ先生にそう言うと、スズキ先生は「はじめて聞いたよそんなの」と言って笑った。確かにと思った。なぜなら光のロリコンなんてものは存在しないからだ。光のロリコンとは「パンのお米」みたいに矛盾した言葉だ。ロリコンはロリコンというだけで業を背負う。だから闇のロリコンという言葉も存在しない。闇のロリコンという言葉は、「トウモロコシポップコーン」みたいな重言だからだ。

宮崎駿はなんか、よく分からないけど、怖いくらい真っ直ぐに人を見ていると思う。そうでなければ、こんなふうに子供の世界を切り取ったり出来ないと思う。親たる人の愛、親ではないが子供を見守る人の愛、そのやわらかな誠実さ。魔女宅にはキキやトンボという魅力的なこども以外に、素晴らしい大人たちがたくさん出てくる。魔女宅は子供たちの感性の中で瑞々しく光る物語でありながら、私たち大人たちに向けてもしっかりと骨太なメッセージを伝えてくれる。

今まであまり気にしたこともなかったが、背景美術や音楽の素晴らしさにも胸を打たれた。引き合いに出して申し訳ないが、ディズニーだったらあらゆるシーンで扇情的で壮大なBGMを流していたと思う。海外のアニメスタジオがキキのデッキブラシ爆走シーンを作ったら、絵だけではなく音楽でも物語を語ろうとしただろう。キキが悩むたびにドラマチックなメロディが、彼女の心情を代弁しただろう。でもジブリはそうではなかった。音楽は常に彼女達のささやかな日常を彩るものでしかなかったし、空と風と山と海のためのメロディだった。さざ波を運ぶ風の代わりに、市場の賑やかさやパンの甘いかおりの代わりに、高い空の澄み渡った空気の代わりに、町と町との結び目のように横たわる森の静寂の代わりに、鳥たちの羽ばたきの代わりに、太陽や月の代わりに、そういうものの代わりに音楽が語っていた。ドラマチックな演出を畳み掛けなくてもいいんだ…みたいな発見があった。

まあとにかく、魔女宅は最高だ。こんな素敵な映画が1989年に公開されていたということに、今も新鮮にびっくりする。公開から35年以上たった今、大画面で魔女宅を観ることが出来て本当によかった。付き合ってくれたうに先生とスズキ先生、本当にありがとうございました‼️

地元の駅についたら成人男性が別れ話を拒んで地べたに座り込んでガキのように駄々をこねており、「逆魔女宅‼️」と思いました。畳む
CATEGORY:雑記,映画感想
2年前、U-NEXTがHBO(ワーナー)と提携したことで、それまで有料配信だったハリーポッターシリーズが見放題配信へと切り替わった。見放題なら一度見てみるかと、シリーズ第1作目の『賢者の石』を再生した時には、ハリーポッターシリーズを物語として楽しむというよりまだ年若い頃の俳優たちを見て楽しむという感じで、聞きかじったことのあるストーリーの辻褄を合わせながら鑑賞していた。なんなら、改めて鑑賞した『賢者の石』は、小中学生くらいの子供も見ることを前提とした映画のわりには、陰気だし、話も長いわりに進行が遅く、退屈ささえ感じるとさえ思った。続く『秘密の部屋』も、合間合間に緊張が走る展開はありつつもそこまで話を面白いとは感じておらず、物語より魔法世界の美術などに興味を惹かれる感じだった。

突如ギアが上がったのは、第4作目の『炎のゴブレット』を見た時だった。『アズカバンの囚人』は“ハリー・ポッター”として面白いというより、魔法やタイムリープなどのギミックがうまく回収されていく映画的な面白さのほうが勝っていて、ハリーポッターを見たというより映画を見たという感想の方が自分の感覚に近かったのだが、『炎のゴブレット』はそれまでの映画シリーズとは明らかに一線を画す、本当の意味での“ハリー・ポッター”の世界という感じがした。

『アズカバンの囚人』までは、ヴォルデモートは「不気味で、なんか悪くて怖いやつ」というイメージだったし、勝手に脳内で少年漫画的な敵役を想像してしまっていた。「悪のカリスマ」であることは間違いないんだろうし、カリスマと言われるくらいなんだからきっと悪としての美学か何か、思わず心掴まれてしまう主義や主張があるんだろうと、無意識に決めつけて見ていた。ところが、『炎のゴブレット』でいよいよ姿を現したヴォルデモートは、「やらないなら殺す、出来ないなら殺す、不快なら殺す、とにかく殺す」という、超絶シンプルに「脅す」という手法で悪の元締をやっていたのである。なんの衒いもない。“他者の命をも支配する暴力”で世界を歪める悪がヴォルデモートだった。

セドリックが死なねばならなかった理由がないという一点にまず驚き、理由なき暴力、理不尽な簒奪、沈黙の中にただ沈み、近しい人や愛する人に別れの言葉さえ交わすことが出来ない最期、人生、命を奪われるということが一体どういうことなのかというストレートにも程がある“死”を、映画を通じて、おそらくたくさんの“子供たち”をターゲットにした物語でやるという展開に、突然後頭部を撃ち抜かれるくらいの衝撃を受けた。ついこの間までホグワーツ魔法学校の校内でアトラクションみたいな冒険をやっていたハリーたちが、いよいよここから本格的な「戦争」に巻き込まれていく。

ただの圧倒的な暴力装置としての悪なのに、ヴォルデモート本人はいかにも育ちのよさげな紳士的な態度を相手に見せてくるというギャップも良かった。

セドリックの遺体とハリーがホグワーツに戻ってきて、セドリックのお父さんが「My boy」と言いながらセドリックに駆け寄ってくるところで毎回泣く。セドリックは父にとっていくつになっても「My boy」なのだ。その「My boy」が冷たくなって帰ってくる。生きている時にふたりが最後に交わした最後の言葉は、決して死などを予感させるものではなかっただろう。明日も今日と同じような挨拶を交わせるはずだと当たり前に信じて息子を見送った父のことを思うと、つらすぎる。

『アズカバンの囚人』までが前振りで、『炎のゴブレット』以降がハリーポッターの戦いの本番になり、本当に原作は児童書なんですよね…?と確認したくなるようなキャラクターも続々出てくる。ドローレス・アンブリッジの邪悪さは筆舌に尽くし難い。映画で初めてアンブリッジと邂逅した時は、こんな“ホンモノ”を児童書に出すのってアリなんだ…とものすごい衝撃を受けた。

大人になりきれないまま大人になってしまった人達のままならなさ、子供でいさせなければならない年頃の子供たちを大人と同じように扱わねばならない過酷さなど、映画の中でしか私はハリーポッターの登場人物と出会ってないんだけど、それでも回を追うごとにキャラクターたちの一挙手一投足に興奮したり絶望したりして、それぞれの解釈の奥行に感動した。余談ですが私はシリーズの中で『謎のプリンス』が一番好きです。フォイがあまりにフォイしているため。

そういうわけで、2年前に突如ハリーポッターの映画シリーズにハマり、この世にはそんなハリーポッターの映画の裏側を見ることの出来る施設があるということを知り、是が非でも行きたいと思った。ハリーポッターファンのめゆんちゅ(YADA茶先生)についてきてもらって、初めてスタジオツアーに訪れた時の感動、ローブを買って、人生で初めてコスプレまがいのことをした時の高揚、そして映画製作の裏側、湯水のようにカネを使ってカネを生むという本気の取り組みなどを見て、改めて「ワーナー」というメジャースタジオのパワーを思い知った。そして、映画の舞台裏でこれほど多くの人たちが、下手したらたった数秒しか映りこまないシーンのために、様々なアイディアを総動員して魔法世界に説得力を持たせようとしていることに純粋に圧倒された。

すっかりスタジオツアーが好きになり、半年に1回くらいのペースで施設を訪れている。今回で4回目の訪問になった。

当日は台風の上陸が予報されていて朝からひどい雨風になるかも知れず、電車が動かない可能性もあった。本当はローブを持っていきたかったが(魔法使いのローブなんてこういう場所以外で着込む機会がないため)、そんな天気が予報されている日には荷物の持ち運びも一筋縄ではいかないだろうと思って、ローブを持っていくのは諦めた。

家を出る前は雨も風もまったくひどくはなく、よくある雨の日という感じだった。電車も通常通り動いていて、待ち合わせの時間に十分間に合った。よかった。いつ雨がひどくなるかとヒヤヒヤしたが現地に到着しても雨風はいっこうに強くならず、拍子抜けしたくらいだ。こんなことならローブを持ってくればよかったな〜と思った。ローブがあるのとないのでは如実に入り込み具合に差が出るのだ。

スタジオツアーの入場料は今年からまた少し値上がりしている。週末は7000円と、ジェットコースターだのお化け屋敷だのがあるわけでもない施設なのになかなか強気なチケット料金だ。しかも今月からクロークでの手荷物預かりサービスが終了し、荷物はロッカーに預けなくてはいけなくなった。先にショップで買い物をして、買ったお土産やグッズをクロークに預けてからツアーに行くのがよかったのに!チケット代金が値上がりしたのにサービスの質が低下するのはどない⁉️と思いながら入場。

前回来た時と、ホールの展示が若干変わっている。賢者の石公開25周年ということで、ショップには関連グッズなども並ぶ。今回はハグリッドがハリーをお祝いした例のケーキ(ハペーバスダェ ハリーのケーキ)が、どんだけハグリッドのケーキが好きなんだというレベルで大量にグッズ化していた。ぬいにもなってた。ちなみにスタジオツアーのグッズショップでは、こんなんぬいぐるみにするのアリなんだみたいなものまでぬいぐるみ化している。バタービールとか。どうしろというんだ、バタービールのぬいぐるみ。

ほぼ朝イチでの入場。カフェで朝食を食べた。スタジオツアー内の飲食物はどれもこれも高いが、味は普通に美味しい。スタジオツアーに行ったなら、なんでもいいから是非コラボメニューを食べてみてほしい。スタジオツアー4回目にしてはじめてのブレックファーストだったが大満足だった。一体どんな味なんだ…という興味から注文したパンプキンソーダも本当に美味しかった。朝早かったこともあり、レア席を確保出来たのも嬉しい。朝活は最高である。

朝食をとりながら、やっ先生に、ここ最近の近況やモジュロについて話すなどをした。台風の日に相応しく、荒ぶるモジュロトーク。

スタジオツアーの展示の中だと、私は後半の展示である魔法省のところが一番好きなのだが、前半の展示の図書室のところも大好きだ。ホグワーツ魔法学校の教科書などが展示されているのだが、この装丁のひとつひとつが本当にオシャレでカッコいい。今回、実ははじめてぬいを連れてきたので、隙を見て写真を撮るなどをする。

初来訪の時に意外に思ったが、スタジオツアーではぬい撮りなどをする人はパッと見たかんじかなり少ない。よく考えたらそりゃそうなのだが(スタジオツアーはハリーポッターの施設であり、他のコンテンツとは関係がないので)、ここに訪れる人達が、みんな「ハリー・ポッター」という映画の世界観に入り込んだり映画の舞台裏を見て純粋に驚いたり楽しんだりしているという事実は、映画ファンとして非常に嬉しいことだ。

知りたいのはハリーポッターのことで、見たいのは映画の舞台裏で、こんなにも現実的な製作過程を見ているのに、その工程を知るごとに私たちには映画という魔法がかけられていく。細かな美術ひとつひとつに宿るクリエイティブに感動し、物語に説得力を出すためにどんな検討や努力がされたのかを垣間見て、彼らの10年に渡る長い物語の旅路に想いを馳せる。スタジオツアーはそういう時間のための施設なのだ。映画ファンが映画について考えて、展示を見ながら興奮していいし、愛を語っていい場所なのだ。なので自分も今日までぬいの写真は撮らなかったのだが、先日我が家に来たちみめゆがあまりにもかわいいのでちょっとくらいは一緒に出かけた思い出を残しておこうと思って撮り始めたら止まらなくなった。ぬいぐるみってかわE。ぬいも感動したと申しております。

前回来た時より明らかにクオリティが上がっていると感じたのは圧倒的に館内のキャストさんたちの質だった。館内サービスからクロークは失われたが、その代わりキャストさんたちの説明力と接客力が増している。チケットが値上がったぶんはこっちのサービスに転化されているようだ。許した。

実際に行って楽しんでほしい気持ちが強いのでネタバレは避けるが、同じ展示内容でも飽きがこないよう色々工夫があって偉いなと思う。周年に合わせて展示が変わったり、追加の説明や解説があったりするので。

途中、カフェに入って一生喋っていた。私が喋っている間に地球の歴史が一度終わってまた再生していたと思う。展示を見終わってホールのカフェに入り、また地球の歴史が2巡くらいするレベルで喋った。舞台「呪いの子」の大プレゼンを行い、ハリーが…息子が…車内販売ババアが…とやっているうち夜になった。雨は去っていた。

やっ先生と、また半年後とかに来ましょう!と約束して別れた。長いのに嘘みたいにあっという間に過ぎ去った1日だった。本当にありがとうございました‼️

翌日が普通にOTAKUイベントで、同人誌を渡したり受け取ったりして満面テカり散らかし笑顔を地球に見せたあと、アフターに行って再び舞台「呪いの子」のプレゼンを行ったところ、なぜかゴーヤ先生に車内販売ババアの存在が刺さり一緒に舞台に行こうと約束出来た。ありがとう、車内販売ババア!畳む
CATEGORY:雑記
おもち先生と抹茶尽くしのアフタヌーンティーを食べに出かけた。なんかジュレみたいなコンソメスープが美味しくて、夏の間はずっとコレを食べていたいなと思った。家に到着したばかりのちみめゆを持っていくつもりが忘れてしまい、うまそうなヌン茶をぬいぐるみに見せつけるという、成人女性がやる行為の中で最も特殊な部類に入る儀式は叶わなかったが、ほどよく涼しい日で、去年とはまるで過ごしやすさが違う一日、本当によかった。

東京都写真美術館では現在、地下の展示室で「ソニーワールドフォトグラフィーアワード2026」が開催中で、なんとこれが入場無料である。折角なのでということで、アフタヌーンティー後に立ち寄った。展示は4つのセクションに分かれていて、それぞれで時代や歴史、民族的アイデンティティ、文化、動植物、コミュニティ、継承、痛み、悲しみ、怒り、喜び、世界各地の様々なモノやヒトやコトにまつわる色彩豊かな感情や生活を写真を通じて観察し、また洞察することが出来るようになっている。

展示はナチスの収容所で命を落とした精神疾患者たちへの追悼作品から始まる。既にこの世から失われていても、かつてそこに確かにあったものたちの存在証明。時と、覆すことの出来ない「死」を越えて、その写真は人類が永劫忘れてはならない課題を炙り出している。
https://www.worldphoto.org/sony-world-ph...

そのセクションで展示されていた作品の中に、くり抜かれた顔に何か自然的な画像(空間、太陽や空など)がはめ込まれた人々の写真があった。パブロ・ラモスさんという方の制作した作品で、解説を読んでひっくり返るかと思った。いわく、メキシコでは13万人以上が「行方不明」となっていて、約40分ごとに新たな失踪者が報告されていること、2024年には約13000件という過去最多の失踪者が発生したこと。この写真は過去に撮られた写真のアーカイブから「失踪者のアルバム」というべきものを再編集しており、当たり前に営んでいるはずの生活から隣人が消えていくことが「日常」となっていることや、制度が不可視化され不在が当たり前となってしまったことに対する抵抗の意思として制作されたもののようだ。

いや約40分ごとに新たな失踪者てサッカー1試合の間に2人消えてんじゃん。

W杯に沸き立つ太陽の国が見せるもうひとつの表情が、あまりに深く濃い闇を広げていることに改めて衝撃を受ける。国と国とがスポーツを通じて交流を深め、今まさに熱戦を繰り広げている一方で、政治機能が部分的に完全な不能状態に陥っているというメキシコの暗黒面を、写真は静かに物語っている。
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韓国人写真家キム・スンホさんの作品は、韓国が直面している課題を親としての視点であたたかく、またやさしく、コミカルに取り上げている。韓国では出生率が女性ひとりあたり0.72と過去最低(2023年)を記録する一方で、犬を飼う世帯は600万世帯以上。人と暮らすか犬と暮らすか、という選択肢が“家族を持つ”という行為として同列のものと認識されつつある社会で、彼がフィルムにおさめるものは我が子と犬がともに生活している「暮らし」そのものである。眼差しのやさしさと、ささやかな幸福にあふれた写真から、人が何かと関わり合いながら生きるということへの力強い賛美を感じる。それが子供だろうが、犬だろうが、あるいはその両方とだろうが。愛を持って生きることは素晴らしい。
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世界の広さを心から思い知った一枚は、トッド・アンソニーさんが撮影したタジキスタンのとある競技風景である。競技の名前を「ブズカシ」といい、これは馬に乗った競技者が“ボール”となるものを抱え、それを奪い合い、逃げ切ることがルールという競技なのだが、ここで“ボール”として扱われるものがなんなのかというと、なんと「内臓を抜かれ首を落とされたヤギの死骸」である。なぜだ‼️思わず心の中で絶叫した。もっと他に選択肢あるだろ‼️ヤギに見立てた藁人形とか‼️さすがにヤギの死骸は写真で確認出来ないものの(よかったです)やっていることの迫力に慄いた。世界は広い。本当に広い。
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マチュー・モインドロンさんが撮影した、仙台の夜も興味深い。これは一日の労働が終わったあと、最低限のあかりだけを灯して沈黙する建築物の様子である。私たちが日常的に見て、過ごし、触れている景色から「人」という存在が消えた瞬間、そこは生活の情景から非日常的で工学的な色彩の舞台へと変化する。傷心に染み入るような感傷的な表情とともに、この青い無機質さが美しい。
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アニタ・プシャール・セラさんが映し出した、ブラジルはブエノスアイレスにおけるカピバラ最前線には考えさせられるものがあった。ブエノスアイレスのノルデルタは高級住宅地で、もともとはカピバラの住処であった湿地を埋め立てる形でその都市開発が進んだ。結果、カピバラが住宅街で繁殖して手に負えないほど頭数を増やし、このままではカピバラの死因第1位が事故死になりかねないような事態となっているらしい。住民たちもまた、カピバラ派と反カピバラ派とで対立を深めており、このカピバラ狂想曲は都市と自然の共存について人々に様々な問題意識を投げかけることとなっている。パッケージングされた「売り物としての都市」に一番必要なイメージは「利便性が高く清潔である」ということだ。生活を脅かすほど数を増やした動物というのは、それが仮に凶暴なものでなくとも「都市生活」のイメージを毀損する場合がある。人間にとっては金脈の眠る開発地区でも、動物たちにとってそこはただの住処に過ぎない…と人間がいくらことを難しく考えても、カピバラのこの表情を見ると気持ちがちょっと丸くなる。彼らをかつての幸せな野生生活に戻せるなら戻してやりたい気持ちになるのも道理だ。
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カピバラというと、以前スズキ先生たちと遊びに行った動物園で彼らを見た。カピバラというとファンシーグッズとしてのイメージも強いが(※カピバラさん)、現物を見ると意外と大きくてビビる。飼育場所にはカピバラ専用の小さいプールのような場所が設けられていて、1匹のカピバラが開いているんだか瞑っているんだか分からない、例のうっとりしたような目をしてプールに浸かっていたところ、もう1匹のカピバラが重たいのか軽いのか分からない足取りでプールにやってきて、仲良く水遊びでもするのかと思ったらおもむろに仲間が涼を楽しんでいるプールに向かってう️⭕️こをし始め、プールに浸かっていたカピバラが撤退するという現場を目撃し、法から解き放たれたホンモノの「自由」の、そのあまりの迫力に胸が震えたことを思い出した。そのう️⭕️このお陰で、あそこが果たしてプールだったのかトイレだったのか分からなくなってしまった。なお、カピバラがう️⭕️こをする様子はぼのぼのに出てくるクズリくんのう️⭕️こシーンとほぼ同じだった。余談おわり。

展示されている写真を撮ったカメラマンの方がちょうど在廊されており、撮った写真について直接ご説明を頂く機会もあった。そのカメラマンの方が撮影したというのが、石川県能登の「あばれ祭」というお祭りの写真だった。名前の通り暴れれば暴れるほど喜ぶ神様なので、神様のために神輿を燃やしまくると仰っていた。ポストカードを頂いた。無料でそんな、いいんすか、と思いながらありがたく頂戴した。

最後におもち先生と気になった写真を教え合って退室。私がやや抽象的な観念や風景、遠影などを好むのに対して、先生は人間の自然の営み、自然な動作を切り取った日常的な1枚が好きなようだった。

「画材屋さんに行きたい」というリクエストを頂いていたので、その後は画材屋さんに移動した。おもち先生から画材の解説をしてもらいながら、色々な道具を見る。具体的にどの部分に使うのか想像も出来ないような形の筆があったり、毛がクジャクの羽というのもあった。水彩用の絵の具よりパステルの方が安価で、思ったより手頃な価格なんだなと思ったら、パステルは一度に消費する量が多いのでコスパ的には水彩のほうがずっといいですよと教えてもらった。パステルは1回で半分くらい消えることもあるらしい。見たことない形の硯も見た。カッコよかった。そこに何か書きつけたいというわけじゃないが、和紙の触り心地が好きだ。金箔というと金色ばかりをイメージするが(何しろ金箔と名乗るくらいだ)、実際には多様なバリエーションがあり金箔とはもはやそういう概念であることを知った。

書道パフォーマンス用の筆は約270,000円だった。あれはピンからキリでいうところのピンなのかキリなのか、その中間なのかどれだろう。

デジダルでしか絵を描かず、絵というよりお手軽サイズの二次創作漫画を描くのが好きなだけの私でも、知らない道具や色や創作方法などを知ると自然とモチベがあがるもので、まずはイオンの文具売り場で水彩絵の具買ってみようかな‼️という気になった。

おもち先生は水彩用の絵の具を購入(これがまたスゴいプロ向けのカラーしか入っていないようなヤツ)「次のイベントに向けて何か描きたい」とアツいコメントを頂戴する。新作が楽しみすぎる。

思ったより時間が余ったので、結局いつもの銀ブラ作戦(※行くところに困ったら一旦銀座に出て、とりあえず何かしようとする行為)に出ることに。「お姉様(※)の遊び方しか知らず、若者の喜ぶようなところ知らなくてごめんね」とお姉様(※)を通り越しておばあさんみたいなことを言ったら、「私も動物園とか水族館とか植物見ているほうが好きです」と話を合わせてくれて、気遣い…っ、年下に…っ‼️感謝…っ‼️とカイジみたいな顔面になった。
(※)…ミドサーから先は確実におばさんである。諦めるべし。しかし、おばさんは自らを卑下する時以外、ババアと名乗ってはならない。「お姉様」「乙女」などと言い換え、歌って踊って歳をとるべし。

カフェに入って、たくさんお話をした。その中で、非常に参考になる絵の話があったので、おもち先生からの許可も貰い共有したいと思う。

絵の上達方法についてである。

ご存知の通り、おもち先生はとてもすごい絵をお描きになる。先生が絵の練習をする上で実践していることをいくつか教えてもらったので、上達願望人(じょうたつ-したいんちゅ)は是非参考にしてください。

①雑誌を使う

よくあるポーズデッサンの本ではなく、雑誌(人が写っている任意のもの、ファッション雑誌などでなくて良い)に出てくる人を頭から描いていく。ファッション雑誌は洋服やアクセサリーやメイクが強調されるようなポージングをしているので、人の自然の動きを描く練習にはむしろそれ以外の雑誌のほうが向いている(散歩の達人的な)

②最初は「絵」を見て描かない

最初は「絵」ではなく、実際の人物をよく見て描くこと。絵から絵をトレースするとトレース元の描き方になってしまうため。ある程度描けるようになってから、絵を参考にすること。要するに、何かを「なぞって」描こうとしないこと。

③よく観察する

描く前によく観察すること。描きながらよく観察すること。よく眺めること。

④描ききる

失敗しても描ききる。中途半端にやめないこと。出来なかったことや描けなかったことから得ようとすること。必ず得られるものがあるため。

おもち先生が絵を練習する上で実際にやっていることは、大きくまとめると上記のようなことらしい。

先生は、「例えば水面を描く時に、それを“水”とだけ捉えるのではなく、“なぜ揺れるのか”や“これって本当に水だろうか”と色々なことを考えて観察する(※おそらく、物質的なことだけを見るのではなく、観察する対象物に付随する様々な現象や要因のことにまで感覚を拡げるということだと思います)」と仰っていて、観察に奥行きを持たせることが大切なのだろうとも思った。また、それを聞いて、あの表現力にすごい説得力が出る‼️と思った。

以前おもち先生のスケッチブックを見せてもらったことがある。福岡のイベント会場にて、「そろそろ全部使い切れそうで」と言いながら彼女が取り出したスケッチブックには、たくさんの人物画が描かれていた。老若男女、あらゆる人の絵だった。あのスケッチブックは先生の練習帳だった。あまりに緻密な描きこみ方に、「私だったら全部インターネッツにあげて神絵師の名を欲しいままにしてるよ‼️」と言ったら、先生は「これはたくさんの人には見せられない」と照れていた。えぇ〜❓どこがぁ〜❓たくさんの人に見てもらおうよぉ〜❓上手だよぉ〜❓と当時は心から思ったが、先日初めて彼女の地道な練習方法や自分の作品と向き合うスタンスを伺って、すべてが時間をかけた積み重ねの結果だったんだと思ったら、そういう軽口で彼女の時間を消費者として軽々と扱うのは間違いだったと思って反省した。

彼女の絵は本当に本当にすごい。書き込みの量や1枚の中に凝縮された情報量に圧倒される。人物を描いていると言うより、人物を通じて暴き出された雰囲気や空気感という「目に見えない」もののほうが、もはや彼女の絵の主題とさえ言えてしまう。そういうセンスを私なんかは安易に「才能」と言いすぎる。いや、間違いなく生来的な「絵」の感性が彼女にはあり、それを才能と言い換えることはなんら誤解を生む表現ではないと思うのだが、その土壌に水と肥料を与えて育てているのは彼女の努力であり、研鑽である。

最後に印象的だったのが、彼女が「最初は面白くない絵を描く」と言っていたことだった。

面白くない絵、というのは、要するに「見たままの絵」のことらしい。まずは雑誌を開いてそこにいる人を見たまま描く。見たままの絵にする。表現ではなく情報を描く。そこは別に、面白くない。でも、ここにちょっとの「嘘」を混ぜる。画像に描かれていないもの、いわば少し現実的ではない何かを混ぜると、それが情報から表現になる。

その話を聞いた時に、何かがビタッ‼️とハマるような感じがして、この人は絵を描くために生きていくんだろうなと思った。

絵を描き続けていきたいと言っていた。彼女に、ずっとそうあってほしいと心から思う。

私の月収が今より100万ほど上がったなら、私はいろんな人に自分のために絵を描いてもらうと思う。私のために文章を綴ってもらったり、私のために写真を撮ったりしてもらうと思う。自分が価値ある作品を生み出すことよりも、自分にとって価値ある作品とは何かを見定めて、そういうものにお金を使える人生を過ごしたい。私は実際のところ、何かを生み出すより蒐集するほうが好きだ。パトロンに養われる人生に憧れる皆さん、どうか私の月収がブチ上がる未来を応援してください。よろしくお願い致します。畳む
CATEGORY:雑記
ユッケが好きだ。しかしステーキはウェルダンが好みだ。

1年前、動物公園でカンガルーを見た。コミカルなほど黒く大きな目と澄ました口元、大きなリボンのような耳、表情は「眠たそう」としか表現のしようがないが、面立ちはいたって可愛らしい。一方で、彼らの胸板は分厚く、肩から腰のラインにかけては安定した曲線が描かれている。いかにも堅強なシッポ、はじけそうな筋量がたくましい脚を力強く包み込んで、盛り上がった上半身を重量感たっぷりの下半身がしっかり支えているのが分かる。まさに地に足のついた生物。野生環境ではこの筋肉量が生死を分けるに違いない。

しかし、動物公園のこじんまりした放し飼いエリアに悠々とした態度で寝そべる彼らからは、「筋肉の鎧をまとった生物」というような例えからはかなり乖離した印象を受ける。なろうと思えば圧倒的な暴力装置になれる筋肉を誇りながら、そういうものにまるで頓着のない実に呑気な姿は、実家に帰省してだらしなくリビングに横たわってテレビを眺める無力で平和な人々のように怠惰で穏やかだった。カンガルーが午睡の代弁者であることは、彼らの下半身から完全に解き放たれ、もはや優雅な気品さえ感じさせる様子で足の隙間からハミ出したキンタマからも自明である。あれは、生殖よりも微睡みを思わせるキンタマだった。

カンガルーを食べた。

初夏の、あの汗ばむ陽気の、微睡みのキンタマから1年、ウェルダンで、カンガルー。

ということで、スズキ先生とカンガルーの肉を食べた。人生初のカンガルー肉である。それがまさか池袋にあるなんて。

カンガルーステーキの見た目は牛豚鶏で例えると牛ステーキに似ている。肉質は想像以上に柔らかい。牛肉とはまったく違う味わいだが、これを「そういう牛の部位」といって出されたら、信じるだろう。最初はレアで出てくるので、アッチアチの鉄板に肉を押し付けて火を通していく。わさびをつけて食べると肉の甘みが引き立ってうまい。米の進む味がする。脂が少なく、カルビがきつい年頃になりつつある乙女(※乙女)にもかなりオススメ出来る。肉を食べたという充足感と満足感はあるのに、胃に重たさが残らない。カルビを食べると翌日までダメージが残る乙女たち、カンガルーを食べなさい。

日々地道に努力を重ね、ものすごい肉体改造に成功しているスズキ先生は、「肉が食べたい」という欲求を満たすためにこのカンガルー肉にずいぶん世話になっていると仰っていた。いわく、2頭ぶんは食べたらしい。筋肉が筋肉に循環しているのだ。生物の垣根を超えた、マッチョの環である。

あの日動物公園で見たカンガルー。無邪気なほど全力で丸出しだった無防備のキンタマ。ぬいぐるみを濃いめのタレに漬けたような顔。劇画のようにマッチョフルな肉体。すべてがアンビバレントな魅力に包まれていたカンガルー。お前の肉がこんなに美味しいものだったなんて。

ありがとう、カンガルー。

お店を出たあとは巣鴨に移動した。週末の池袋に乙女(※乙女)の居場所はないのだ。

巣鴨から歩いて30分ほど、白山神社の紫陽花を見に行った。かなり盛況だった。紫陽花は満開で、あまり見たことない色や形のものもある。定番の赤や紫の紫陽花も美しい。pH値が生み出す自然の奇跡だ。色々な人たちがカメラを構えて紫陽花を撮影している。紫陽花の前でピースするお子さんを微笑ましく撮影する親御さん。恋人に撮影を頼まれてスマホを構える男性。かわいらしく着飾った女の子たちが伸ばす自撮り棒。こういう場所には、あらゆる類の「思い出」と「記念」がある。そしてぽえうぉこと異常独身女性もまた、おもむろにぬいぐるみを取り出し、撮影。あらゆる「思い出」と「記念」がある。あるのだ。

和太鼓部の学生さんが和太鼓を演奏していた。立派だった。私が彼ら彼女らの親ならあまりの立派ぶりに泣いていたと思う。赤の他人なので泣かず、心の中でたくさんの賞賛をおくり、神社をあとにした。一足先に夏祭りを体験出来てよかった。

スズキ先生と、再び巣鴨に向かって歩いた。日差しは眩しいが風はまだ涼しく日陰に入ると歩きやすい。良い散歩だった。

文京区というとなんとなく学校が多くやたらとバスが走っているイメージで、何かそういうような話をしながら歩いた。神社からほど近い場所に建っていた大学は建物が縦に長く、低層階で授業を受けた後に高層階に行かないといけないとなったら学生さんたちは移動が大変だろうね、エレベーターで移動だろうからね、とマジでおばちゃんみたいな会話をした。私もぼちぼち大学生の移動の心配より自分の足腰のために色々考えないといけないお年頃だが、スズキ先生は輝かんばかりの健康生活を送っていてとにかく努力の姿が素晴らしいので、お手本にして頑張りたいと思う。まずは高カロリーなものを食べる際に「お前は今からゼロカロリー」と言い聞かせてカロリーを消そうとする無意味な努力からやめたい。

大きな通りには様々なお店が面しているが、脇道に入るとすぐ住宅街が広がる。一方通行の多い東京では車の出入りが大変そうだなとどうでもいい感想をいだく。ところどころでキレイなカフェなども見かける。小洒落た本屋さんがあったので、立ち寄った。「食」と「旅」をテーマにした本屋さんということで、店内に置かれた本はそのどれもが「食」や「旅」、あるいはその「土地」に関連したものになっている。

店内の奥に、都道府県別に雑誌や本のおかれたコーナーがあった。埼玉コーナーには埼玉の観光地を案内する本のほかに古墳の本や三島由紀夫の「美しい星」などが並んでいた。「美しい星」を埼玉関連の本としてくれるところが面白い。

巣鴨に戻ったあとは、商店街を歩いた。激しい段差などがなく、道幅も広々としていてとにかく歩きやすい。とげぬき地蔵とはよく聞くが実際に訪れたことはなかったので、立ち寄れてよかった。また、あんぱんを買いに入ったパン屋さんのレジの後ろになぜか西武ライオンズグッズが並んでいて、どう考えても巣鴨と西武ライオンズに関連はないだろうから、間違いなくお店の方の趣味で陳列されていたのだろうが、埼玉在住の人間として西武ライオンズファンに出会うことがほぼないので新鮮な気持ちになったうえに地元のものが好かれているのはちょっと嬉しかった。なお私はまったく野球ファンなどではない。

ほどよく人がいて、またほどよく人がいない商店街を端から端まで歩いて、庚申塚駅に着いた。駅の甘味処でおはぎを食べたのだが、スズキ先生にとっては久しぶりの甘い食べ物だったそうでおはぎを前に「泣きそう」と言い感激してしばらくおはぎと見つめあっていた。おはぎもこんなに喜んでもらえてかなり嬉しかったはずだ。私は季節限定のよもぎおはぎを食べた。なんだかんだでずっと歩いていたから、甘いものが体に染みて本当に美味しかった。私の勤める会社には毎日おはぎを食べている異常なおじさんがいて、ハゲているせいで「おはげ」という身も蓋もないニックネームをつけられているのだが、おはぎと聞くとどうしてもその人がイメージの先頭に来ていた。でもこの日食べたおはぎのお陰で、おはぎのイメージの先頭がおはげと入れ替わった。人生で初めておはぎをテイクアウトした。スズキ先生も「一番おいしいおはぎだったかも」と言っていた。リム先生流に言うなら、「人生おはぎ」と言ったところか。

そのまま池袋まで歩いた。結局池袋に戻ってきた。

アニメイトに入ったが、キレイになったアニメイトは乙女(※乙女)の居られる空間ではなく、あの小汚いアニメイトが懐かしかった。池袋の景色も日々変わっていく。

カフェに入って、かき氷を食べ、この夏もたくさん遊びたいですねぇという話をし、帰った。帰りの電車で「カンガルー キンタマ」と検索したら、オーストラリアではカンガルーのキンタマは定番のお土産らしいということが分かり、カンガルーのキンタマはヘソの下あたりからぶら下がっているという知見を得た。また、オーストラリアに住むカンガルーは都民の数より多いらしいということも。

翌日、朝食に巣鴨で買ったあんぱんを食べた。どうしても牛乳と一緒に食べたかった。ひとりで家の張り込みが出来てよかった。そんでそのまま二度寝してしまい、目覚めたあともゴロゴロして10分おきに本読んで10分おきに横たわるみたいなことをやっていたら日曜日が終わった。かなり仕上がっている週末だった。畳む
CATEGORY:雑記
そういえばサイトを更新してました。
https://pewq315.com

更新というか同人誌を数本収容しただけですが、よければ是非。

初めてiPadで作った同人誌原稿(命のゆじ)をどこのファイルに入れたか忘れて見失っています。どこかには入れた。消してはいないはず。どこなの。気に入っているのに。命のゆじをサイトに載せたいよ。

あと、以前にもお知らせしたんですけど、この週末に下記のWebオンリーに参加します。

PICREA(ピクリエ)開催イベント 【個人サイトWebオンリー めぐる市】 https://picrea.jp/event/a306c73ff0f8e27b...

このWebオンリーを教えてもらっていなかったら、まだ当分サイトは完成してなかったと思います。教えてくだすった未捺彦先生に感謝。本当にありがとうございます。ようやく自分の根城が出来ました。これでいつでもひきこもって遊べます。
個人サイト文化をあまり知らないという方は、是非このイベントで色々な「ホームページ」を巡ってみてほしいです。今はコンテンツをアプリで楽しむのが普通で、SNSさえあれば片手間に様々な画像や動画の閲覧が出来る時代ですが、腰を据えてネットサーフィンするというのもなかなか趣きがあるというものです。(ネットサーフィンを「趣き」とかいう時代が来るなんてだいぶ信じられませんが)

サイト作りのキッカケも転がっているかも知れません。初めての同人誌作りと同じでサイト作りも「やるしかあんめぇ」となったら絶対完成しますので、少しでも「やるしかあんめぇ」の人が増えたらいいなぁと思うし、ブームが一巡してまた個人サイトが脚光を浴び、便利なサービスが勃興しまくったらいいなと思います。

最初未捺彦先生からこのイベントを教えて頂いた時、「満了してもスペース拡大してくださるみたいなんで、申し込みはゆっくりでもいいかもです」と仰っていたので、まあ今日日個人サイトと言ってもね…などとかなりナメたことを思っていたのですが(自分自身ネットサーフィンなんてほぼしなくなっている側の人間だから)、現実はなかなかの早さでスペース満了だったようで、まだまだ個人サイトの勢いは死んでないね‼️と、かなり嬉しい気持ちになりました。

思い立ったが吉日行動だけは早いので、聞きつけてすぐに申し込みしました。ついた火を消すのは下手ですが自分のケツに火をつけるのだけはやたら得意。自分のケツになら火を放ち放題。ケツ炙りにだけは自信がある。一生ケツを燃やしていく。

そういえば初めてTwitterのアカウント作ったのって何年くらい前になるんだっけ❓と思って色々遡ってみたら、私が初めてTwitterというものに触れたのは16年前でした。怖い。生まれたてほやのバブが最後の制服時代を楽しむお年頃になってしまうのと同じ時間を、私はあのSNSと共に過ごしています。私以外にもそういう人はたくさんたくさん居ると思います。あえて言いますが時間の使い方絶対間違っています。

Twitterをやり始めた時はSNSがどういう意味のなんなのかということを全く考えていなくて、当時サイトに設置していたメモ(alfoo)の代わりに使えたらいいなくらいの気持ちでした。全然用途違ったね。

alfooって今もあるのかな❓と思って調べたらサ終していました。いらんことをいっぱい書いていたので、これで完全にネットの海に沈んだと思うと切なさと安心が一挙に押し寄せてきます。中学生の頃から色々なウェブサービスに絶え間なく黒歴史を刻む人生でした。でも最後はみんなインターネットという大海の底に沈んでいきました。XもInstagramもThreadsもmixi2も、そう遠からぬ未来では海底に沈む珪藻類の死骸みたいになっていることでしょう。でもその代わりに新しいインターネットサービスが生まれて、我々は死ぬまで黒歴史を刻み続けるんだと思います。とことん黒光りさせていきたいです。畳む
CATEGORY:雑記
学生時代にやっていた個人サイトは「骨とサーカス」という名前でした。その後、本格的に社会人生活が始まるタイミングで「血と骨と肉」という名前に変えました。当時はこういうのがクールだと思っていました。骨とか血とか書いておけば展示しているものの傾向も分かりやすいし。

私のテキストを読んだことがある人はなんとなく分かると思うのですが、そもそも当時の私が好んで書いていたのは暗い話の方で明るい話はあんまり書いてなかったんですね。大真面目に文章を書こうと思ったら、やっぱりハッピーエンドよりなんかどんよりした話の方が書きやすい。今でこそ堂々たるハピエン厨ですが、ハピエン厨に転向した理由は「社会人の疲れは学生の疲れより暗い話を書く体力を奪うタイプの疲れ」だったというのと、絵ではギャグっぽい話が描きやすいという気付きがあったからです。漫画で暗い話を描く気にならないように、文章で明るい話を書く気にもあまりならない。よほど書きたいものがあれば別かも知れないけど、文章で書きたいものは自分の技量ではとても絵に落とし込めない何かなんだと思います。

今回サイトを作るにあたって初心忘れるべからずと思い、また「骨とサーカス」という名前をつけようと思ったのですが、なんかもう骨とか言うような年頃じゃないことに気付きました。死を連想させることがカッコよかった学生時代はもうかなり遠い遠い過去で、今はもっと今の自分に近い言葉にしたいと思ってサイト名を「さんぽぽぽ」にしました。今の自分は結構自分のアイデンティティを「ぽ」のほうに託しているんだと思います。「えうぉ」ではなく。

この言葉が他で使われていないか確認してから名前をつけたらよかったんですが、思いついたら「これしかない‼️」となってしまい我を通してしまいました。検索するとアート展のタイトルが出てきてやっちまったと思ったんですが、まあこのサイトは一応検索避けもしておりますしご迷惑はならないだろうと。おいおい同人サイト系のサーチには登録しようかなぁと考えておりますが、身内に時々来てもらう用のサイトとして(あとは完全に自己満足として)細々やっていこうかなと思います。

「骨とサーカス」というサイトを運営していた頃の一番の思い出が、当時自分がサイトに展示していた作品を気に入ってくれたお姉様に「あなたの話を本にしたい」と言ってもらい本当に本を出してもらったことです。その本が本当に手の込んだ素敵なもので、お姉様がその表紙に手作業で赤いスワロフスキーを貼ってくれました。ペーペーの学生だった自分にはまだそのスゴさがあんまり分かっていなくて、今だったら感謝の五体投地でアスファルトを自分の額で削る気概なんですけど、当時は「嬉しいなぁ」くらいの感覚でした。あの頃の自分に会えたらぶっ飛ばすと思います。お前、もっと感謝しろと。

でもそうやって大切にしてもらった話は、今振り返って読んだ時にどれほど拙く感じても、やっぱり何がなんでも手元に残しておかなくちゃと思うもので、10年どころじゃない月日がたった今もこのお話だけはインターネットに残しています。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=...
死にたい雲雀シリーズというやつです。初出が2007年か2008年か。だからもう本当に20年近く前。

当時を振り返るとずいぶん熱心にサイトをやっていたなぁと思うし、サイトが本当に生活の一部でした。今同じ熱量でサイト作りが出来るかと言われたら無理です。しかし、二次創作的なコンテンツが軒並みpixivに収容されるようになってインターネットの景色が変わり、SNSが更に二次創作の裾野を広げてくれたのと同時に、狭いところでダンゴムシしていたオタクは実際のところ行き場をなくしてしまいました。ダンゴムシではなくてせめてイモムシくらいにはならないといけなかった。でもやっていることは二次創作だし、わざわざ表立って自分の存在をアピールしたいわけではない。石の下にいられるならそっちのほうがいい。注目を浴びたくはないが愛好者には自分の存在を知ってもらいたい。個人サイトはそういう需要を満たしてくれるものだと思います。

イーロン・マスクがインターネットで暴れるたびに「個人サイトへの回帰」がにわかに熱を帯びたりしますけど、サイト作りはやはり骨の折れる作業だったしハードルが低いとは言えないなと思います。管理も面倒くさいし、何よりスマホ一台で出来るのかと言われると、難しいと思う。とにかく一番これ、「スマホだけで完結しない」というのが時代に合っていない。サイト作りってPCがあることが前提だけど、今どきの子達はそもそもPCを持っているのだろうか。自分たちが同人作品を楽しむ時もわざわざPC開くよりスマホ片手に見る方が圧倒的に多いと思いますし、スマホで作業出来ない限り個人サイトは絶対流行らないだろうなと思います。もちろん今はスマホ一台でサイトが作れるサービスもあるんですけど、選択肢は少ないというのが現状です。

「個人サイト」というものが同人文化の一部として定着していた時代を通ってきた人と、pixivやSNSが同人文化の入口だった人とでは個人サイトというものに対する思い入れも違うと思いますし、「やってほしい」だけではなかなか重い腰は上がらないと思いますが、それでも是非興味があったらチャレンジしてほしいです。テンプレートを配布してくださっているサイトさんは今でもたくさんあって、今回私はすべてを配布サイトさんに頼りました。cssに関して自分が頑張ったことはほぼないです。素敵な配布サイトさんたちのお陰でやっと自分だけの石の下が出来ました。

サイト作りをやろうやろうと思いつつ全部後回しになっていたんですが、以前merciで未捺彦先生に「6月に個人サイトWebオンリーがあるんですよ〜」と教えて頂き、それに合わせて絶対サイトを完成させるぞ‼️という目標(締切とも言う)を立てることが出来たのもかなり大きかったです。
https://ma100.stars.ne.jp/meguruichi/

未捺彦先生に「ぽえうぉさんが出たらめぐゆじ取り扱いサイトが2件に増える」と言われて、ソイツはやるしかねぇと思いました。増えた方がいいからね、自カプサイトは。

目下の夢はサイトのリンクページをめぐゆじサイトまみれにすること。どういうサイトを参考したとかどんな記事を読んだとか、自分がやったことや自分のぶち当たった壁などは聞かれたら全部教えますので、どうか皆さんお願いします。夢を叶えさせてください‼️

SNSは便利だけど、どこへ行こうが結局は同じことが煩わしくなり同じことで悩まされるもの。なんでも使い方次第なんだから、SNSも含めてゆるくやっていこうと思います。どこで何をやっていたって私は絶対的に平和を支持。Xには課金しない。戦争反対。自カプは最高。

以上、よろしくお願い致します。畳む
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